常識外、ほかに例を見ない、現時点で人間が定めたことに当てはまらない、通常とは逆、誤解され続ける、軽視され続ける、悪く見られ続ける…
そんな存在である自分(→http://o-my-o.tk/)のことを発信。
#場面緘黙症 #緘黙症 #緘黙 #場面緘黙症克服法 #常識外 #例を見ない #通常とは逆
#誤解 #軽視 #悪く見られる #人間が定めたことに当てはまらない #自分 #現状打破
家族はその後障害者として扱っているうちに少しずつ本当に障害者のようにも見るようになっていった。
過去のことも忘れていき、障害者ということが前提になって「障害者なのだからできない」的なことを思うことが多くなった。
健常者として見ていた時の名残りで「障害者ならできないはずのこと」をやっていても何とも思っていなかったりし、
そのことにある時ふと気付いて突然凄いことだと思いだしたり、
以前は言う間でもなくできると思っていて現にできることを知っていたはずが、
障害者として見るようになったことでできないと思うようになったり、訳の分らないことが起こることもしばしば。
#障害者 #健常者
現実味のないことを言うが…
能力を抑え、欠点を作り、周りの人(知人)との整合性を保つために自分は神?によってこうさせられたようにも感じる。
「本当に」能力が知人と同レベル以下になり欠点だらけになったら整合性が保たれて常時本来になる。(治る)
そういう見方もできたり。
#整合性を保つ #神 #常時本来
「できる人ができない人にやってもらっている」「知ってる人が知らない人に教えてもらってる」だとかありえない。
でも本当にそうなっている。
こんなことがあるなんて自分でも信じられない。
こういう普通ありえないようなことに関して、人はどう思うのか?もっと知りたい。
#ありえない #人はどう思うのか
悪いと思われていることで悪い方向へ持っていかれ、より悪いと思われる。
良いと思われていたら良い解釈へ結び付け良いように思う
悪いと思っていたら全てが悪く見える、良いと思っていたら全てが良く見える
悪い人と思っていたら悪いことはその人がしたこととする、良い人と思っていたら良いことはその人がしたこととする。
そしてかってに確信を強めていく。
悪い人だと思う人が良いことをしたと言っても、信じない。
良い人だと思う人が悪いことをしたと言っても、信じない。
そういうもの。
結局思うこと信じること印象しだい。
できない人と思っていたら、何も知らない人と思っていたら、普通と違う人と思っていたら…それも同じ。
そう思われていたらそれ相応の解釈をされる。
そんなでずっとその人の思っている形はそのまま。
人のその「思うこと信じること印象」を変えさせて真実を理解させるのは難しい。
本当に人間は厄介。
そういうように思っていると、そういうことを考えて不確かなことはそういうことにしてしまう。
#思うこと信じること印象しだい #厄介
本当に嫌なこと恐ろしいこと痛いこととんでもないことを体験してしまうと何でも耐えられるようになる。
それらのその程度が大きければ大きいほど忍耐力が増す。
それを思えばなんてことない。何とも感じなくなる。
些細なことでつべこべ言ったり恐れたりガッカリしたりどうでもいいことに拘ったりしている
不幸知らず怖さ知らずの人が馬鹿馬鹿しく見えてくる。幸せ者。
…大人になると大人らしくなる原理はこれ。
#馬鹿馬鹿しい
何にでも良い作用と悪い作用とがある。
良いと思っているものの悪い作用は見えない、悪いと思っているものの良い作用は見えない。
眼中に現れない。
そうなってしまうもの。
よく考えてほしい。
#良い作用 #悪い作用
囚われの身のような感じで何もできない。
#囚われの身
酔ったらおそらくかなりの高確率で自分は知人の前でしゃべるだろう。
#酔う
人に操られている限り、取り返しのつかない残念でしかないことをされ続ける。
リセットできないからにはそのまま生きるしかない。
自分の場合はひたすら残念なままでいるしかない。
「残念、無念、悲しい」で終わるしかない。
#リセットできない #残念 #無念 #悲しい
・・・
ただ1人のフォロワーのツイートにコメントしたら、フォロー解除された。。
なぜ「自分の言葉」は決まってこんなにも嫌がられるのか?
…決まって言葉での反応はないので、よくわからない。
#フォロー解除
感情で生きている人と理屈で生きている人は全然違う。
自分の場合は理屈で生きているので、特にその感情で生きている人に操作されるとたまらない。
ゲームの主人公はプレイヤーを選ぶことができないのと同様に、自分は自分の操り人を選ぶことができない。
操られないといけないという時点で(言ってしまうと)最悪。
ゲームのキャラクターには実質感情がないですが、自分にはある。恐ろしいことに。。
しかもゲームと違って一度何かやらかされたらリセットできない。現実ですから。
操り人は自身の気持ちが全て。
動かされる人の気持ちは関係ない。
最悪なことを喜ばれたりするようなこともある。
自分がだめでも知人(操り人)が良ければめでたし、自分が良くても知人がだめなら残念ということにされる。
知人は後味悪いままでくたばったりはしない。
やると決めたことはどうしても遂行される。
自分からする最悪なことでもそう。
自分はどれだけ後味悪いままでくたばることを強いられていると思う?
不公平。
#リセットできない #ゲームの主人公 #キャラクター #プレイヤー #後味悪い #不公平
現状だと金を(使うことよりか)稼ぐことがしたい。
今1番したいことはそれ。
通帳に記帳されずに口座を使う方法…あるいは口座なしで金を稼ぐ方法をなんとかして見出したい。
もしかすると電子マネーを応用すれば口座がなくても金を稼げる?
#電子マネー #通帳 #口座
↓の方まで読めばわかるが、自分はある意味ではすでに克服しています。
(知人は知るよしもない〈こう言っても疑問でしかないだろう〉)どうして(ある意味)克服できたかを説明。
まず自分は子供でいたいという想いを強く持っており、もう何か今以上の年齢にはならないとし(実際そんなことはできないが)、
それ以上先のことを現実的に考えることはしないようにしていた。
年齢が上がってしまっても思いがけずその年齢に順応し、常に今以上には…という想いがあった。
20前後でそれがようやく薄れてきて、先のことを考えるようになってきた。
それによって現状打破を「現実的に」考えるようになり、その結果、
「他人の前でなら本来でいても平気、何も問題ない」ということにはっきりと気付いた。
それに気付いたことが鍵だった。
気持ちが本気になって良くなった
(今の生活に影響を及ぼさないような場面でなら〈他人の前でなら〉本来でいれそうになった)という感じ。
根本的に言うと治った理由は「気持ちに変化が起こった」それだけ。
これに関しては自分もそういう、ありきたりな理由。
「克服を現実的に考えて、平気だということをはっきり認識する」「平気でなけれぱ平気になれる状況を作る」それが鍵。
#克服 #気持ちに変化 #緘黙症
重度障害者にされると、あれもこれも「自分でやってはならない」ということにされる。
逆にそうなる。
重要なことは全てそう。
障害者の証は自立を妨げるもの。
「できないから人にやってもらいたい」と思う人にはいい。
自分はできるから人にやってもらいたくない。
#重度障害者 #障害者の証 #障害者
このような人はほかにいない…
それどころか同様な思想を持っている人も存在しない。
そんなで自分の言うことに共感してくれる人というのがいない。
この世にいない。
全てを否定される。
ですから、心の支えが何もない。
いくら心が折れようとも、ひたすらそのままでいるしかない…
#共感 #心の支え #全てを否定
感覚や考えは逆のこともある。
それがその人にとってにどういうものなのかをしっかり考えた方がいい。
人に嫌われたくなかったらそれを考えて認識して行動、発言すべき。
いくつかの選択肢があって、その人にとってその選択肢は最善でも別の人にとっては最悪、
あるいは逆にその人にとっては最悪でも別の人にとっては最善というケースもある。
取り返しのつかないようなことにもなり兼ねない。とんでもない苦痛を与えることにもなり兼ねない。
#感覚 #考え #苦痛 #最善 #最悪 #取り返しつかない
日々不愉快なことばかり。
何が不愉快かって、「誤解されること」が不愉快。
それが不愉快。
言われること思われることの9割が誤解。
つまり言われることのほとんどが不愉快。
誤解していることをその人に教えられたらいいわけだが、それができないから不愉快。
#不愉快 #誤解
今や至る所に無料Wi-Fiや無料で利用できるコンセントが設置されているので、
ネットができる機器があればそれだけで生き続けることができる。
90年代00年代ではそうはいかなかった。時代が味方してきてくれている。
#無料Wi-Fi #無料コンセント
本来の自分は遠にある程度の高みに達してる。
もう何もする必要もない。
問題は知人。
知人は自分はできると思っていない。
知人に自分はできると思わせないとどうもならない。
そのことを知人はあまりわかっていないように思う。
個人的にはそういう「知人に思わせる」ようなことに力を入れたくない。
馬鹿馬鹿しい。
大人なのだから関係ない。
人に操られること自体、本当に嫌らしいこと。
#高みに達してる #知人 #馬鹿馬鹿しい
改めて言いますが、現状を知られることはとんでもないこと。
そのことは理解してほしい。
まだ常時本来ではないどころか、逆に恐ろしく悲惨な有り様になっているわけです。
これを実行するということは、即ちとんでもないことをやらかすこと。
#悲惨 #悲惨な有り様
1人の専門家が専門的なことを何か言ったら、皆そのことを間に受ける。
あまりにも突拍子のないことでない限り間に受ける。
そういう人には、人を動かす力があり人を騙す力もある。
専門家を装うことでその力を得てしまったりもする。
最善の行動をとるためには、広い目線で見ることを習慣付けたり、ある程度自分で判断できるようにしないといけない。
#専門家 #専門的 #突拍子のない #騙す #最善
「できない」と言えばほかの人にやる権利が与えられてその人がやれてしまう。
「できない」ということにすれば、普通なら形式上本人の意思の確認をしないとできないようなことも、
それは不要で何もかもできてしまう。
実はそう。
訴えたくなる。
自分は遠に大人意識を持っていますからそれもあって、子供みたく騒いだりはできない。でされるがままにされざるを得ない。
だが家族等は障害者と見立てたことで自分に対して大人意識が全くなく、やりたい放題。
好きかってに操作される。
尊重されるようなことはまずない。
家族は避けることができないので怖い存在。
#できない #訴えたくなる #大人意識 #障害者 #操作
障害者だとされ、そう思われるようになったことで、
まして障害者のふりを、何もできないふりをせざるを得なくなってしまった。(重度化)
誰もそのことに気づかないという…
健常者と思われていたら健常者でいざるを得ない。
自分は「後者」の方が楽だし幸福。
だから現状が嫌。
#障害者 #健常者 #重度化
「知人の前で演技をする障害」がありますか?
知人は「知人の前で演技をする」だけだと思っていない。
真実は「それだけ」なのだが。
知人はそれだけだということが分からず、かってに自分を色々な障害の枠に当てはめ永遠と無意味なことをし続ける。
#演技をする障害 #真実 #障害の枠 #無意味
障害者と同類だったらこうなっていない。(←この意味は知人には全くわからないでしょう)
#障害者と同類 #障害者
誰も理解していないので、誰かから薦められることも全部的外れ。
というか何というか、間違えていてハズレ。
#理解していない #的外れ #ハズレ
できれば最初はコンビニではなくセルフレジのある商業施設に行く。(店員〈人間〉とやりとりしたくないので)
遠くて毎回そこに行っていられない…的なことになったら心してコンビニに行くようにする。
#コンビニ #セルフレジ #店員 #やりとりしたくない
子供が一人で出かけてはいけない、一人で包丁や火を使ってはいけない的なことと同じ。
いくら「安全に行動できる能力」があろうと、「子供」とされる「年齢」であったらそういうことをしてはいけない。
自分で行動してはいけない。
色々「できない」と見た目でかってに思わる。不安を抱かれる。少しでも危ないものは触れるだけで恐れられる。
障害者(とされている人)もそんな子供(とされている人)と同じ。
#包丁 #火 #安全 #子供 #障害者 #年齢
人から合意を得る必要なく思い通りに行動することが許されている。
それが凄く幸福なことだと思わないのか?
それとも幸福なことだということに気づいていないのか?
人から合意を得ることを必要とする場合、対立してあらゆることが思うようにいかず、嫌な思いもし続けることになる。
誰でもそうなる。
#合意を得る必要 #幸福なこと #幸福 #対立
どれだけ軽視されているのか?自分は誰からも驚くほど軽視されている
#軽視 #驚くほど軽視
誤解されるとこちらが誤解しているものかと思われたりする。
誤解しているのはそちらだというのに。
#誤解 #逆誤解
今や、自分の金とされる金も知人が管理することになる。
どうしてもそうなる。
動物に金の管理などさせられないでしょう。それと同じ。
知人の管理下にあると、即ち知人に知られずにそれを使うことがでない。
知人に知られずに使えない、即ち使えない。
「その知人に意識がある限り」使えない。
なので「自分で使用できる金」を確保しておきたい。
自分で使用できる金というのは即ち、自分で隠し持っておける金。
で実は2005年頃からそう思って確保してきた。
長い年月を経て色々なシチュエーションがあって、塵が積もり山となりつつありますがまだまだ不十分。
↑で言った「多少の金」とはそれ。
もっと確保しておきたい。それが現状でできること。
#金 #意識 #自分で使用できる金 #多少の金
騒がない、即ち嫌でないみたく認識されてしまったりもする。
#騒がない #嫌でない
人に操作される身だと何も聞かされない。
言葉がわからないものかと思われていると、本当に何も聞かされない。
たとえ「自分のこと」でもそう。
聞かなくていいとされる。
実際に形式に基づいて行動を起こすのは自分ではないですし。
聞くのは自分を操作する自分の代理の人。
無断で何かするようなことをしても許されてしまう。
騙すようなことをしても“自分のような何もわからないと見られている人間”に対してなら許されてしまう。
残念ながら自分は騙していることも何もかもわかってしまうので、何の利点もない。
その人に対して嫌気を覚え好感度が下がるのみ。
#人に操作される #言葉がわからない #代理 #騙す #嫌気
「自分のことを知らない人」は普通のノリで話しかけてきますが、話しかけられて無視(無言を貫く)などということはむしろできない。
そんな悪いことをするのは逆に無理。ずっとそうだった。
#普通のノリ #話しかけ #無視 #無言を貫く
もともとは家族を始めとした周りの人に「軽視」されるから、本来を出せなくなった。
だが家族は絶対にそれをわからない。
もう遅いですが、今でも「軽視」されていることで本来を出しにくい感じなのは確か
#軽視 #家族
知人を擁護する必要はない。
何がどうあろうと、悪いことにされるのは「自分」。
貴方もそうしているでしょう。
自分は悪を寄せ付ける磁石で、悪の塊。
#擁護 #知人
「誰一人理解していない、誰しもから全てを悪く思われる」などというのは
そう思い込んでいるのでもなくて、「結果」からしてそう言っている。
こういう結果が出ていることは不可思議なので、潜在意識ではむしろ逆のことを思い込んでいる。
誤解しないでください。
#誰一人理解していない #悪く思われる #結果 #不可思議
問題はわかるか?できるか?やり方知ってるか?買い物できるか?話せるか?wではなくて、金。
だが知人はそれが問題だと思っており金は問題外。
#問題 #話せるか #金
皆苦しみ疲れと戦い続ける「社会」とやらで少しくらい自分の(本気の)力を試してみたい。
通常の人間を、いや「人間」を体験してみたい。
良い意味で拍子抜けしそう。
#社会 #苦しみ #疲れと戦い続ける #人間 #拍子抜け
知りたくないから教わらないのではなくて、知っているから教わる意味がない。
やりたくないから練習しようとしないのではなくて、やれるから練習する意味がない。
誤解しないでください。
何度も言いますが知ってるできると思い込んでいるだけではありません。
#教わらない #教わる意味がない #練習
知人は都合よく色々忘れて自分という自分を美化したりするが自分はそんなことはなかったり…
#自分という自分を美化 #美化
知人が絶対できないと思っていることの数々を自分は絶対できたり、
知人が人の助けを借りないと無理なことを自分は誰の手も必要とせずにできたり、
知人は1つ1つの動作が苦だったりするが自分は全くそんなことがなかったり…
#絶対できない #人の助けを借りないと無理 #動作が苦
ネット上の人が言うに、「自分は言葉が全くわかっていない、言葉を〈全く〉理解していない」らしい。
本当に言葉がわからない人間。
即ち重度知的障害者ということか。
#言葉が全くわかっていない #重度知的障害者
緘黙症の人は自分のことが理解できるかといったら、そんなこともない。
どうあれ「人はそれぞれ違う」し、こういう状況下に置かれるまでになった人はいない。
誰もこのようなことは経験していないですから。
誰も共感しない。
共感しないと「…?こいつ何?怪しい。見て見ぬふり…」となる。
共感できないようなことというのは何もわからない。
自分がどうなのか何なのか本当なのか?わかる人が本当にいない。
共感する人がいない、即ち理解できる人がいない。
皆、自分に対してどうも思えないし何とも言えない。
常識外の存在、ほかに例を見ない存在、現時点で人間が定めたことに当てはまらない存在というのはどうにもならない。
自分のようなこういう存在というのは、どうしようもない存在。
悲惨な者。
皆、共感し合えて羨ましい。
自分と同様な人は誰一人いない。
即ち理解してもらえる人、共感してもらえる人が本当にいない。
#人はそれぞれ違う #誰も共感しない #見て見ぬふり #理解できる人がいない #常識外 #ほかに例を見ない
#人間が定めたことに当てはまらない #悲惨 #自分と同様な人は誰一人いない #緘黙症 #緘場面黙症
自らやってみないと、動的に何かしてみないと理解できないようなタイプではない。
#理解できない
おもちゃの人形が実は動けて話せたとする。
だが人が見ていたら動けない話せない何もできないでしょう。
なぜなら人は「人形は動かないもの」だと認識しているから。
人を仰天させて騒ぎを起こしてしまう。
自分はそれと同じ。
そうも例えられる。
粒子が波としての姿を人に見せられないのとも同じ。
#おもちゃの人形 #仰天 #粒子
どうでもいいようなことを貫こうとし、維持になったりムキになったりするようなタイプでもありません。(それは謎の変人)
直感で思い込むのはやめてください。
両極端な何かがあったりもしません。
知的障害的な気質も何もありません。
#維持 #ムキになったり #謎の変人 #知的障害
家族に対する想いは色々あるが、最も大きなものは「恨み」。
今やそれが圧倒的に大きい。
#家族 #恨み #圧倒的
そもそも理解してもらえないことによって現状打破を妨げられている。
それを妨げているものは知人。
なぜ妨げているのかというと自分を理解していないから。
理解してもらえていないから、誤解されるし腹立たしいことも言われ続けるし
軽視されるし驚かれるしダメージ追うし不幸…でもある。
だが理解させられない。
言葉では厳しい。
「自分を知ること」を重要視し、それを無意味だと思ったり、恐れたりしないようにしてもらえると良い…
#理解してもらえない #現状打破 #自分を理解していない #腹立たしい #軽視 #ダメージ追う #言葉 #自分を知る
知人は明らかでないことを明らかと思ったりするが自分はそういうことがなっかたりする
#明らか
何が損で何が特か?何を重要視しているか?人により違う
#何が損で何が特か #重要視
「自分で貯めて隠し持つ」ということをしないと「使える金」が手に入らない。
だから自分で貯めるしかない。
#隠し持つ #使える金
自分はおもちゃとは違い、人を楽しませるような役割はない。
邪魔者でしかなく、人から責められる。
#おもちゃ #邪魔者
不運にも家族の監視下から完全に逃れられる時間が真夜中にも朝方にもほぼない。
…常に逃れられていたらどれだけ幸福か。
想像すると胸が踊る。
#不運 #家族の監視下 #真夜中 #朝方 #幸福
自分は知人がいなくなれば何も問題ない人間になります。
知人がいることによってこういう人間になっています。
「知人がいるとできない」それだけ。
それを信じて理解してほしい。
自己流の予測をもとにああだこうだ言って無意味路線へ持っていかないでほしい。
このような人は自分しかいないですから、改善するためのマニュアルとか、この世にないと思ってもいい。
かってな解釈で何かの障害とし、それ相応にどうこう言われると無意味路線へ行く。
他人にわかることではない。
#何も問題ない人間 #知人 #自己流 #無意味路線 #改善するためのマニュアル #障害
自分は自分という人間を誰とも照らし合わせていないからそう思っているでもありません。
「比較対象になる人間」がいるからそう思うようになったわけです。(当然)
自分と比較できる自分以外の人間の存在なくして有能と思うはずない。
本当に、人に思われることは訳がわからない。
#比較対象になる人間 #有能 #人に思われること #当然
あれこれ命令される。
障害者にされたことで永遠に、独立してはいけない人、人の言いなりになり続けないといけない人になってしまった。
普通、時が来たら保護者とされる人の存在はなくなる。
自分の場合それが永遠になくなってくれない。
なんということか。不平等。。
#障害者 #障害者にされた #独立してはいけない #人の言いなりになり続けないといけない #保護者 #不平等
ちょっと遅い時間に出歩いていたら、子供と間違われ、警察に捕まった。
未成年ではないことを伝えたのだが…
その際、(年齢言ったら驚かれそうだと思ったりで考えてしまい)「言葉を発するのを躊躇」してしまったことでか?
常人ではないと思われ、名前・住所を聞かれた。
個人的なことを教えるのはどうしても怖いので、言わないようにしていたら、警察は激怒。
どうしても名前だけは言ってほしいようで、しつこく30分以上は粘られた。
最終的には「未成年ではない」「家に帰ることはできる」←その2点をしっかり確かめられると、声を荒げ激怒されながらも解放された。
家に帰れないと思われるとか、どれだけ馬鹿に見えているのか?
自分の名前を知らないと思われたり、本当腹立たしい。
家族に知られるとだめなので、個人的なことを言うのはあまりに恐ろしい。
それで言えなかったわけですが…
でもそれ以外のことも思いのほかなかなか言えなかった。
こう言ったらああいうだめな反応されるかもしれない、そういったらもっと怒られるかもしれない、
こう言ったらもっと馬鹿にされるかもしれない、それは的はずれかもしれない、
言ってはいけないことかもしれない、トラブルを招いてしまうことかもしれない、
正しい回答ではないかもしれない…などと一言一言物凄く考えさせられて言葉が恐ろしくなり結局あまり何も言えない。
人と対面してその場で即話しをするのは文字でのやりとりのように安心できない。
最後に「話せないやつは外に出る資格ねえよ」的なこと言われた。
その言葉、一生忘れられそうにない。
本当に外に出る資格ないなら死にたい。
…何か魂が抜け、生きる気力を失った。
この失望感、一体いつまで続くのか?
このことが頭から離れない。
警察は自分がこんなショックを受けたとは思ってもいない。
なんという災難。
話せない人は、こんなでは本当に外に出てはいけないのだろうか?災難と思ってはいけないのだろうか?
人間は言葉で生きる面倒で嫌な生き物。
思ってみると、あそこでああ言っていれば受け流せた、もう少しまともな人間だということを理解させられた、
あのタイミングでああ言っていれば良かった…みたいに思うことがある。悔しい。
警察にはもう2度と近寄りたくないがその反面リベンジしたい気持ちもある。仕返ししてやりたい気持ちもある。微妙な心境。
いままでほとんど傷つくことがなかったのは、そもそも話そうとしていなかったから。
あんなにも言葉が怖いとは思わなくて、そのことがまたショック。
話さないなら話さないで、一切何も言わないでいる方が良いとも思えてきた。
ショックで考えすぎて何かよくわからない。
言いたくないことでなければまともに話せるのか?
もっと自分を試してみたい。
何度も会話をやってみれば、理論上普通にやれる。以前はやれていたわけだし。
夜は危険。本来警察は危険をなくすためにいるものだが、自分にとっては逆に危険な存在。
#警察 #警察に捕まった #未成年 #ショック #言葉 #話せない #緘黙症 #場面緘黙症
右と左はともに同一人物が書いたもの↓
知人が自分の本来を知ったら仰天する訳がよくわかるでしょう。
#同一人物が書いた #同一人物 #仰天する
右と左の字は同一人物が書いたもの↓
どちらが障害者の自分が書いたもので、
どちらが健常者の自分が書いたものかというと…言う間でもない。
(左は高校以後の〈障害者認定され〉色々強制的にされるようになってからのもの。学校のものでもない)
#障害者 #健常者 #障害者認定
オール最低評価の通知表②↓
中1の時のもの。
これも何もしなかった証拠。
これで叱られたり貶されたりしたようなことが一切ないという。神のような存在。
#何もしなかった証拠
オール最低評価の通知表①↓
小6の時のもの。こんなのは見たことがないでしょう。
何もしないとこうなる。「評価不能」とはならず、一応評価がされている。
都合よく「このことが真実であることを示す証拠になること」も書いている。。
#通知表 #オール最低評価 #評価不能
手付かずのテスト用紙たち↓
これも。
もう「永久に」誰も見ないと思うので普通に手をつけてしまっても問題ない…。
これだけではなく大量にあったが、引っ越し時にそれ以前のものが全て捨てられてしまった。
#テスト #テスト用紙 #手付かず
手付かずのドリル 6年分↓
学校でずっと何もしなかった証拠。
手付かずなのでいまだに真新しい感じ。
ドリルは重要性が低い。
#ドリル #学校 #学校で何もしなかった
人は自身の出した答え以外の答えはないものと見る。
誤解だらけで本当に面倒。
#自身の出した答え #答え #誤解だらけ #面倒
何もしていないのに、何もしていないそのことを責められる。
知人はかって世話してかってに大変な思いをしている。
#何もしていない #責められる #世話 #かって世話 #大変な思い #大変
「自分は1つのことに《異常に》拘る、何でも拘る。「拘る障害」だ。
話さないでいることにも拘っており、その拘る障害こそがこのことの全てを引き起こしているんだ」
とも言われたことがありますが、それもありません。拘る障害ではありません。
話さないでいることに拘っているというのは即ち話したくないということ。。
本当に自分のことを理解していない。
そもそも自分が異常に拘っていることとは一体何なのか?挙げてみてほしい。
自分では心当たりない。
というか、何でも拘るなら、1つのことに拘っていることにならないし、意味がわからない。
拘る障害というのは、何となくそう思っただけでしょう。(そう判断)
理屈を考えずなんとなく感情で生きている人というのは、間違ったことを確信的に正しいと思い込んでしまう。
あまりにも的外れ。
#拘る #的外れ
できない(ふりをしている)「時が」あることで、よく障害で本当にできない人と同類と見なされますが、それはおかしい。
そう思いませんか?
知人からしたら本来でない自分が自分の通常体で、
本来は魔法の力によってパワーアップする的な感じなのかもしれませんが、そうではない。
健常者(レベルの高い人)が障害者(レベルの低い人)を演じることはできますが、逆は無理。
レベルの低い人がレベルの高い人の真似はできない。
そう考えればわかるでしょう。
本来が通常体。
「できない」ではなくて、「できない(ふりをしている)〈時が〉ある」というのが正しい解釈。
#通常体 #魔法の力 #できないふり
今となってはもはや家族と話したいとは到底思わない
いくつもの恨みがあり、その上常に不愉快極まりないことを言い続ける人と話して仲良くなりたいですか?
なりたくないでしょう。
#恨み #不愉快極まりない
何も理解していない人が何か言っても基本、的はずれでしかない。
理解しないとその人の助言は助言にならない。
#理解していない #的はずれ #助言
誰からも大きく誤解されて色々悪いやつと思われている。
このままでは終われない。
#大きく誤解 #誤解 #悪いやつ
家族の所有物から外れられたら、どれだけ幸福か。
人間なのだから、操作されずに自分で動きたいと思うのは当然。
仮想人間でも、物でもない。
#家族の所有物 #所有物 #仮想人間
人にショックを与えたり嫌な思いをさせたりしている自覚が全くなく、いい気でいる。何か恐ろしく感じる。
#ショック #嫌な思い #自覚
頭が悪いのかと思われて良くしようとされたら逆効果。
#頭が悪い #逆効果
お前は重度障害者だ。何もできない(できるようになる余地ない)から何もしなくていい←で片づけられてKO。。
現代が何もできないフリをして何もせずに生きていられるような、甘い世の中であったことも裏目に出てこうなってしまった。
「もともとの本質的な障害だから環境がどうだろうと関係なく必ずこうなっていただろう?」←それは酷い間違い。
自分を取り巻く環境を作った人は自身を正当化できるので、そう解釈したがる。
#重度障害者 #何もできない #現代 #本質的な障害 #正当化
一度怪しまれるとマークされ(目を付けられ)その他のこと込みでやりにくくもなってしまう。
#怪しまれる #目を付けられる
好きでそうしたくて本来を出さないでいるわけではない。
自分のこのことと、好きで自ら意図してしているその他のこととは結び付かない。
それとこれとを結び付けるのはおかしい。ヒドイ。
結び付くと思うなら、それは根本的なことを誤解しているからです。
#本来を出さない #意図 #根本的なことを誤解
本来の存在を知っていても、
皆その本来でない自分と本来の自分とがそれなりに共通しているものだと思い、本来もそれなりに低レベルだと思われる。
自分は知人の知る自分とは本当に別で、別の人生を歩んできた人と思っていい。
「家族・知人が思っている本来の自分」も自分の恥の存在。
その自分も自分と同一人物だと思われている知人の中だけにいる別人。
家族・知人は本来を見ていない。
本来は全然知らない。
知っているつもりになるのはおかしい。
本来の自分が知人らが思っているような自分なら、確かに1人で生きられない。
しかしその自分は自分ではない。
#本来 #共通 #低レベル #本来の自分 #自分の恥
…言っておきますが「夜しか出れなくありません」ではありません。
#夜しか出れない
目を離したら車にひかれるかもしれない!そうも信じられてやまない。
#車にひかれる
自分が自分の保護者なら絶対にこうならないようにできたと思う。
実際の自分を理解していますから。
どうしたらいいか、どうするのが有効かわかる。
#自分が自分の保護者 #保護者
今は70代で親が生きているケースも少なくない。
気が重い…。
逆に逝ったらだめだ、と思っている人はすぐに逝くと思い、気を重くする。
人は良くないと思うことに敏感。
#70代で親が生きている #逝く
自分はあらゆることが通常とは逆。
頭を良くすること→だめなこと
自信があること→良くないこと
人に思われること→真実とは逆のこと
自立すること→だめなこと
自分の場合こう言うとこう言われる↓
人を頼らない→それは悪いこと、頼れ
覚える、忘れない→それは悪いこと、忘れろ
人のことを考え世の中のために生きる→それは悪いこと、自分のことだけを考え自己中心的に生きろ
障害者の観点で見て↓
保護者がいなくなること→喜ばしいこと、救われること
世話されること→嫌なこと、危険なこと
世話→してもらうではなくされてしまう
知力が下がると→健常者になる
自信→満々
障害→ない
問題→「できないこと、わからないこと」ではなく「できてしまうこと、わかってしまうこと」
その他↓
親は子供を→過小評価する
自分をサポートする人→自分にサポートされるべき人
↑全て通常は逆。
これが真実。
皆、こういう自分の真実をわかっていない。
このような人はまず、ほかにいない。
「反人間」と言っていい。
#頭を良くする #自信がある #自立 #自己中心的 #障害者 #保護者 #世話 #問題
何に目をつけるか?どこをどう見るか?何が絶対か?何に関心を持つか?どう思いたいか?何を信じているか?どんな心か?
それも人によって違う。
#絶対 #関心 #何を信じているか
悪い人(悪いと思われている人)はその人自身のあらゆることを「悪さの原因」とされ、あらゆることが悪いことにされる。
どこもかしこも何もかも悪く、良いことはない。
#悪い人 #悪いと思われている人 #悪さの原因
逆に悪化して中学生になってしまいました。
願いも思いも届きませんでした…そんなでした、無念。のはず。
いざそうなったらその時にはいろいろ忘れていて周りの人は言うことが変わっている。…おかしい。
#悪化 #場面緘黙症
「自分だけ」は「本当に」誰しもから避けられる。
どうして無視されるのか?反応、返答、言葉をもらえないのか?
その理由が知りたい。
「自分で考えろ?」
どれだけ考えていると思ってる?
考えられることは嘘を言って人を弄ぶクズと思われ以下省略。
こういうことは教えて(というか反応を示して)もらえないと認められない。断定しきれない。
正解がわからないと断定できず前に進めない。
不確かなのにかってに解釈して思想を固め言動をしていったら誤解だらけになり兼ねない。
それで良いとは思わない。
だから理由を教えてほしいと言っている。誤解しないでください。
誤解はだめだということが自分にはよくわかる。
#誰しもから避けられる #無視 #返答をもらえない
低いレベルの人間だ弱者だヘマしまくるやられまくる無能だと信じられ続ける。
何も知らず、かってにそう思われ続け、それ相応の扱いをされる。
本当にそう思っていると、その人はそれが失礼なことだとも思わない。
理解して配慮してあげている(良いように考え良いことをしてあげている)ように思ってしまう。
それがまた嫌らしい。
#低いレベルの人間 #無能 #配慮
「人間は一人では生きれないもの?」
↑ほかの生き物(動物)は皆一人で生きているのに、最も優れているとされる人間が一人で生きれないというのはおかしいです。
そう思いませんか?
#人間 #人間は一人では生きれないもの
「人」がいるから、「人」を気にして、「人」によってこうなり、こうなっている。
もとから脳に障害がありどうもならないだとか本当にできないだとか思っている人は自分のことを本当に理解していない。
#人 #本当にできない #理解していない
ある意味、何もできないわからない知らない子供だと思い込まれる。
#何もできないわからない知らない
「確実に嘘」と認識し、それをベースにされてはしかたない。
確実に嘘ではないと認識してください。
#嘘 #確実に嘘
人は人のことがわからない。
人は違うので解釈も違う。
人による人の言葉の解釈はよく間違ったかってな解釈になる。(誤解する)
#人は人のことがわからない #かってな解釈 #誤解
自分は障害者を装いますが、普通を装うことはありません。
そのようなことは言っておりません。
装うも何も、何も装っていない状態が普通(健常者)です。
ある人から見た自分の普通がおかしな自分になってしまったら、おかしな自分でいざるを得なくなる。
そういう意味で常に「ある人から見た普通」を装っているとは言える。
その普通は普通ではないおかしな自分。おかしい人を装っている自分。
#障害者を装う #普通を装う
毎日見ているのにここまで理解していないというのは本当に信じられない。
#理解していない
(「これまでの全てを覚えている」とは言っておりません。全てを覚えている人間など人間ではありません)
#覚えている
家族がいるから生きれている、家族ありがたや←ではない。全く違う。
家族の手によって「日々」害を受け続け、嫌なことをされ続け、動きを封じられて何もできず、惜しいことになっている。
家族がいるから何もできないわけで、何もできないから家族の元にいるのではない。逆。
根本的なことを誤解しないでください。
#家族 #動きを封じられる #惜しい #誤解
何でも「自分が一番できる」ので、自分でやるのが一番良い。
人に何かしてもらうことが全然良いとは思わない。
そういう自分に限って何でも自分でやらず、人にしてもらっているという。
誰にとっても良くない嬉しくない。
そういうことになってしまっている。
身近な人達は、できなくてやってもらいたがる逆のタイプ。
…いろいろ。
#自分が一番できる #誰にとっても良くない #嬉しくない #哀れ
記憶が後から次々と塗り替えられるわけありません。
矛盾はありません。
おかしい異常な人間ではありません。
誤解しないでください。
#記憶が塗り替えられる #矛盾 #誤解
自分の保護者は自分にとって有益な気質を持っていなかった。
自分にとってはそうですが、誰かにとっては有益。
本当にできない無知な人の保護者には向いている。
いろいろ残念。
#保護者 #有益 #残念
根拠もなくかってに動物のような存在にし、考えを改めようとすることもないような人と話して仲良くなりたいですか?
なりたくないでしょう。
#根拠 #動物のような存在
家族を始めとした自分を知る人は皆、自分のことを何も理解していないわけです。
自分がいなくなったら、残るのは知人の中にいる自分とは全く違う自分ではない自分。
自分の恥の自分。
自分がいなくなったら自分は本当にいなくなる。
誰の心にも自分はいない。哀れ。
#理解していない #自分の恥
少しくらいなら世話をしなくても問題ない。
世話がままならなくて放置されたりおそろかな扱いをされたりするだろう←凡人は皆そう思う。
そんなことはない。
しっかり保護されて世話され続ける。
このままなら一生涯そうだろう。
自分にとってはそれが全く良くない。
「おそろかにされた方が圧倒的に幸福」なわけ。価値的なわけ。
…誰もそうは思わない。
こう言っても「そんなわけない」という感じで誰にもそうは思ってもらえないだろう。
不幸。
#世話 #放置 #保護 #価値的
ある意味、心が健在のまま長生きされたらとんでもない。
#心が健在 #長生き
皆自分自身と同じようにすることが良いことだと思う。
人を皆自分と同じにしなくてもいい。そうさせなくていい。
自分自身こそが最高の人間ではない。
理解してほしい。
人はそれぞれ別のやりたいこと、別の幸福がある。
押し付けられたら不愉快だし面白くない。
#自分自身と同じようにする #別の幸福 #押し付け
皆、自分は生まれてから今に至るまで長い間常に呆然としていて、何もなかったものかと思っている。
他者には何も見えていないし、社会上での結果などは何もないとはいえよ、
毎日見ていれば呆然としているわけではないことなどある程度わかるような気がするが、本気でわかっていない。
家族の心には自分ではない自分しかいない。
自分はほぼいない。
…恐ろしい。
何も得ず何も生み出さず思考せず生きてきた人間ではない。
#呆然 #社会上での結果 自分ではない自分しかいない
手間も食費もエネルギーも自分に注ぎ込んで(費やして)くるなと言いたい。
なのにガッポリ金を注ぎ込まれ、ガッツリ食わせられてしまい阻止することはできない許されないという。
「費やさないよりは費やす方が良いんだ」と皆思い、逆に普通以上に費やされたりする。
遠慮は利かない。
嫌だし、食に関しては無駄に多く費やされると単純な意味でまでもそちらの方が大変だし良くない。
メリットがない。デメリットだけ。
「費やさない方が良い」というそちらの発想は誰も持たない。
良いことをしたい一心で費やす。
そういう心があると逆に良くないことをされる。皮肉。
#手間 #食費 #ガッポリ金を注ぎ込まれる #皮肉
知人の考えることは何のメリットももたらさない。
#メリット
家族は自分を無能だと思いたい願望でもあるかのよう。
有能ならメリットありだが、普通に考えると無能でメリットはない。
なのにその様。変なことに。。
#無能 #有能
言行は真実か、対等か、馬鹿にしていないか、メリットがあるか、間違っていたらどう思われるか、
自分自身の願望が出ていないか、そういうことに照らし合わせてからするべき。
人の心が読めないのは誰?
#言行 #対等 #願望 #人の心が読めない
「金があればいい」、それだけ。(現時点でそれだけ。嘘ではありません)
それ以外のことに尽くすのは無駄な労力で、不愉快なだけ。
理解してください。
#金があればいい #無駄な労力 #不愉快
本来の姿を誰も見なくなった後に頭がおかしく(障害者に)なった。後天性の障害者。
でもありません。
事故に遭ったわけで何でもないわけです。変化はないわけです。
それなのに後天性の障害者だとか言い張るの、ありえないでしょう。
#後天性の障害者 #事故
馴染みある役者が重度知的障害者の役を本名でやらされていたらどう思う?
ただでさえ見るに絶えないのに、本名となると…
それを自分はやらされている感じ。
#役者 #重度知的障害者
自分のために金を使われることは嫌なこと。
だが誰もそうだとは思わない。
#自分のために金を使われる
殺すと言っても軽視され弱者だと思われているため全く恐れられないだろう。
だから言える。
#殺す #軽視 #弱者
自分が直接嫌なことだけが嫌なことでもない。
人が自分の世話をしてきて人に手間をかけさせている、そのことの方がさらに嫌。
本当に嫌な社会生活。
理解してほしい。
そんな単純な人ではない。
世話をしてもらう自分にメリットはない即ち誰にもメリットがないしそういう意味でも嫌。
嫌な社会生活が家族の手によって強制的に形作られてしまった。
そういう意味でも知人と会わないのが1番良い。
今のままなら、知人に会いに出かけたいだとかまず思わない。
今のままではなくなったら(現状打破したら)、会いに行っていいではない。
皆(本当に)場違いな場所にいる人達ですから、基本もう会わない。
そう思わないなら、それは自分のことを理解していないから。
#世話 #嫌な社会生活 #メリットがない #理解していない
現実の結果を自分で見て判断してほしい。
特に感情で動く人は、結果で判断しない。
曖昧な思考でいつまでも曖昧なまま。
よほどのことがないと認定しない。
なんとなく信じたことをいつまでも信じ続ける。
#結果 #感情 #曖昧 #信じ続ける
電子マネーすらなくても稼げそう。だがATMは紙幣しか出ないようで、試しにやってみれる段階になかなかたどり着けない
#電子マネー #ATMは紙幣しか出ない #試す
今はそれほどでもありませんが、幼い頃は今以上に「自分=超人(そう表現できる)」のように思えていた。
なぜそのように思えていたと思いますか?
考えてみてください。何も理由なくそのように思うはずない。
繰り返し言います。何も理由なくそのように思うはずない。
「知らない」と思われていることの9割知ってる。
「できるはずない」と思われていることができる。
身近な人が「人間はそうしないとそうならなんだ」と言い張っている、自分はそうしなくてもそうなれる。
そんな↑だとその人にできるところを見せるのが怖くてできない。
自分でも自分が怖くなる。
超人のように思う。
知るはずできるはずないだとか思いそう言う人自身の能力が高くないと、増して「誇張」してそう言う。
(能力の高くない自分自身を人間の基準と見るため)
そう言う身近な人の能力が高ければ、自分はこうなっていなかった。
理解してください。
#超人 #知ってる #できる #自分が怖くなる #誇張
あることが起こってはいけない唯一のタイミングで、そのことが起こるようなことが何度もあったり、
#唯一のタイミング
「どこか遠くで1人で暮らす」↑という名称、良くないか?
具体的に言うと「家族が構ってこなければいい。放っておいてくれていればいい。」それだけ。
場所を変えること自体には何の意味もない。
自分に直接意味のあることはない。
外に出れなくない、外に出ることに意味はない。できないことない。
どうして全然違うことを思われてしまうのか?
人は厄介。
#場所を変える #場所を変える #外 #厄介
配慮→されないと困るのではなく、されると困る
#配慮 #困る
「自分はこういうやつだ」と一度思うと、誤解でもその通りに見える。
何でも信じていれば、全く違っていても、信じる通りに思える。
これには驚き。
自分が重度知的障害者と同類にも見えてしまう。
#信じる通り 重度知的障害者と同類
世界は地元周辺だけではない
#地元周辺
1人で過ごす際、「人に危害を与えたり迷惑をかけることはない」「死ぬことはない」少なくともこの2つは約束される。
ご理解ください。
#危害 #迷惑 #死ぬことはない
よく家族にはできないことができて絶賛される(驚かれる)と恐ろしくて、
「もうできるところを見せてはいけない」的な感じになったもの。
#絶賛 #絶賛 #驚かれる
もう1度言いますが、できない知らないやれないわからない←そういうことは自分にはない。
それを視野に入れ考慮されるのは無意味で不愉快どころか、それが大きな壁となる。
#できない知らないやれないわからない #視野 #無意味で不愉快
皆まんまと演技に騙されて無能と思っている。
家族らが思っている自分の能力は実際の1/20程度。
毎日見ていてもそれ。
このままだと一生騙され続け、真実は見抜けないだろう。
#演技に騙される #無能 #見抜けない
親は子供が老人になるまで生きているのが普通。
#親は子供が老人になるまで生きている
自身の思ったこと以外の解釈があること、自身の解釈が間違いかもしれないことを視野に入れてほしい。
#解釈 #間違い
「現状打破したら(1人になったら)障害者として金をもらって生きろ?」
現状打破したらそれこそ何でもない人。
どう嘘をついて障害者に見せかけろと言うのか?
そんなことはできない。
誰も全然わかっていない。
障害者でいたくない、プライドがある障害者扱いは嫌←ではない。
本当にできない(ハンディキャップを追っている人)なら問題ない。
本当に何もない何でもない人なわけです。
#障害者 #嘘 #プライド #ハンディキャップ
こうなった理由→自分は能力が高いのに、家族が自分を軽視するから(それが真実、かってに別の理由付けしないでください)
#力が高い #軽視 #真実
実際多重人格ではないが、「例え」として多重人格というのは非常に良い。
#多重人格
ここを流し見しないでほしい。
家族がしてきた(している)1番嫌なことは学校をやめさせたことでも障害者にしたことでも、
自由を奪うことでも軽視することでも馬鹿にすることでもなく、これ。
それらを大きく上回るレベルです。
どれほどのことかわかりますか?
家族は自分に計り知れないほどのショックを与え続けてきた。
だが当の家族はそんなこと知りもしないという。
#流し見 #学校をやめさせた #自由を奪う #軽視する #馬鹿にする #ショック
家族は自分を理解していないものかと思い込んでいる、自分は誤解している、ではありません。
自分は何も表に出していないが、家族らは日々思いきり表に出している。
自分と違い、基本何でも表に出してモヤを発散している。だからわかる。
「言っていること」からして本当に理解がない。
#誤解 #モヤを発散 #理解がない
自分に足りていないものはない。
だから自分に直接意味があることはない。
「知人」がどうするか、どう動くか、どう思うか、自分をどう動かすか、どうしていこうとするかが、ポイント。
間違えないでください。
#足りていないものはない #直接意味があることはない
「何も言わない=何も思っていない=何も考えていない=無能」一般的にそう認識される。
#何も言わない #何も考えていない #無能
家族は自分にやらせたいことがあると自分はやりたくなくても押し通してやらされる。
実際プラスにならないことだからやりたくないわけでそうされても何にもならない。
自分のやりたい(プラスになる)ことは家族がやりたくなく、流される。
何でもほとんど相違してどうしようもない。
#押し通してやらされる #プラスになる #相違 #どうしようもない
二の舞にはならない←と言っています。どれだけ消極的なのか?
何も考えずにそう言っているのではありません。
自分で自分を理解していない人間ではありません。
一度話してしまった人と話さないようにするとか逆に難しいことでもある。
#二の舞にはならない #自分で自分を理解していない
演技をしている時の姿と実際の自分とを「同じ人間」だと思われてしまうことで低レベルだと思われ
できないやれないやらないおかしいなどと思われ馬鹿にされ誤解される。
おまけに不愉快。良いことなし。
人格・心・記憶なんかに変化がなくても、別人。
役者が役を演じている時は(人格が変わっているわけではないが)役の人(別人)になりきっている(別人になっている)のと同じ感じ。
ある程度「別人」として見るのが良い。
そうした方が自分のことをわかってもらえているに近い。
…しかし厄介なことになかなかそうは思ってもらえない。
このような人はほかにいないので、正しく表現できる言葉はない。
正しいとは言えないが、「多重人格」というのが今生きている凡人達にすぐにマシな程度自分を理解させられるであろう数少ない表現。
#演技 #別人 #多重人格
知人の見ている知人の知る自分は、自分では自分だと思ってもいない。
だから自分でも自分だとか言いたくない。
だからこのページも嫌な感じがある。
…でもこれはしかたない。
#自分 #自分では自分だと思ってもいない
あと話したら全て解体させる。
家族と話さなくなったあとに家族が自分に対してしてきたことは、そのほとんどが自分の意志にそむくこと。
そうしてきたから、そうなるわけ。
そうさせずに話すとか、ない。
家族が思っている自分は消える。
皆こういうことも何もわかっておらず、今話すことがどういうことだかわかっていない。
話しにくい訳もわかっていない。
なんかそうしたい、なぜかそうしたい、拘ってそうしたいとかそういうことはない。
#全て解体 #意志にそむく
知人がついていたら何もできないのだからいろいろなことにおいて逆に危ない。
どうしても逆に安全だと勘違いされてしまう。
誰もいなかったら保護者がいなかったらだめではない。いたらだめ。
怖いのはむしろ保護者。
認識させることは困難。
#逆に危ない #勘違い
自分で言っていることは自分でわかっているからそう言っています。あまりにも当然。
他人の口からオウム返しするような謎の行為は不快で逆に気力をなくさせます。
#当然 #オウム返し #謎の行為
障害者として金をもらわないと生きていけないのにそうしたくないではない。
生きていけなくない。
だからそれはできないと言ってる。
#障害者 #金
障害者のふりをしているだけなので、障害者をやめようとすればきっぱりやめられる。
自分を障害者だと思って見ている障害者には悪いが、そんなで実の障害者とは違う。
#障害者のふり #障害者をやめる
理解していないのに、間違ったことを固く信じ、それに基づいていろいろ決められたりされ、本当やりにくい感じ。
#理解していない #間違ったことを固く信じる
生きる世界が違うレベルの差があり、付き添われていないといけない、共に生活していかないといけないことが苦。
#生きる世界が違うレベルの差 #共に生活
ともかくいろいろ「できない」とかってに思われるが、
実際、自分はできないことがなさすぎて何というか「できない」の意味がわからない。
「できるようにやればいい」←だけの話。
本当に簡単なこと。なのにかってに重く見られてしまう。
できない人のできない感じはよくわからない。
できない障害者の感覚などもわからない。
そんななのにできない、障害者だとか思われていて空しい。
#できない #障害者 #空しい
しかし家族に気にされない人、家族から嫌われている人、家族から見放されている人、本当に羨ましい。
そういう人はその逆の人を羨ましく思っていたりする。
…うまく噛み合わないもの。
#家族 #家族から嫌われている #羨ましい
どれだけ言ったらわかるのか?
実際には障害者ではなくて、「特定の人の前で障害者のふりをしている人間」←だと言ってる。
実際は体は健全、これだけ健全な人はほかにいないというくらい。
だからこそそれを隠すためにそうしている。
「特定の人(知人)に障害者と思われるようにしている」が正しい表現か。
「重度の障害があって不幸」なのではない。
「知人に囚われている」から不幸。
何不自由ない身体ですから、それは幸福。(知人にも本気でずっとそう言われていた。高校から一変してしまったが)
それなのに知人に囚われていて何もできないから不幸。
↑この意味がわかりますか?意味を変えないでください。
#障害者のふり
あれらを見てショックだとか(貴方の思っているような意味では)思わない。
一切思いません。
あの計漢ドやテストを見てわかる通り、やってこの結果だったというわけではないですから。
学校にそもそも行っていない人と同じ感覚。
これは自分の成績ではない。「自分の成績」とは言えない。
無能を演じた自分ではない恥の自分のもの。自分のではない。
だから見せられる。
↑そんなこと想像もつかなくて、これを見た人は変なことを思う。
こちらからするとそう思われることの方が想定外。
#成績 #学校 #ショック
何ができる何が得意とかない。
基本、何でも得意。
知人に何か1つ、あることを得意だと認識されると、それを推し進めるようなことを言われたりするがそれも間違い。
それだけではない。
何もできないからやれることを探すのが大変ではなくて、何でもできるからやることを選ぶのが大変。
誰もわかっていないが、それが真実。
なのに何もできないと思われて何もさせられないという。
#得意
皆偽物の自分を自分だと思って見ている。
何か悲しい。
そう間違って見ている知人も哀れ。
特に毎日そう思って見ている家族は見ていられない。
#偽物 #自分
通所施設など全て行く気がなければ行こうとしたこともない。「1度も」ない。
行っているつもりもない。(それ以前の教育系(を名乗っている)の施設も同じ。)
行かされてしまい、行っていることにされてしまっている。
かってに登録され肉体を持っていかれ(連れていかれ)、形式上「行っている」という形が作られてしまっている。
通所施設など知らない。
にも関わらず皆自分は行く気があり、本来なら自分で行くものかと思っている。
笑えるようなことだが、空しくて笑えもしない。
こんなヤツはほかにいないだろう。
昔から当然の如く通っている「THE・障害者施設の人」ではない。
知人は誤解が進み、今やそうさせたかったと思っているが。
#通所施設 #障害者施設
できるようになれる素質がある覚えらる素質があるではなくて、すでにできるし覚えてる。
だから驚かれる。そう言ってる。
改まって人に教ることをしないと、人は絶対何も身につかないなんていうことはない。
#素質
家族の心の問題とも言える。
あまりに理解がないこと、事実に反してあまりに低く見ていること、あまりにおかしく見ていること、
それに基づいた思いから形作られた家族の自分に対する想い・心が自分を不幸にしている。
#家族 #理解がない #不幸
普通、嫌な人がいたら(それが家族でも)ある程度その人から距離を置くことができる。
自分はそうはいかない。
現状、(“大”騒動を起こさない限り)家族の元から脱する術がないから、絶望的。。
#嫌な人 #大騒動 #絶望的
皆「社会上での結果が全て」と認識している。
自分にはそれがないために、「無駄に生きてきた無の人間」と認識される。
#社会上での結果が全て #無駄 #無の人間
こうなったことで、こうなる前の自分は消えて、記憶も何もリセットされた←でもない。
なぜそういうふうに思われてしまうのか?
学校で教師からルールに基づいて正式にマニュアル通りにどうこうしていない人間に成長はない←でもない。
なぜそうなるのか?
#記憶リセット #正式
人全般がだめとは言っていません。
だめなのは人全般ではなくて、「「知人」」です。
見知らぬ人が見ているところでできない素振りをする理由はないですから、しません。
むしろできない素振りはできません。その人はできると思っていますから。
つまり、できなくなりません。
見知らぬ人の前でそういうことはありません。
これだけ長く生きていれば、遠にできることはできるようになっています。
できることをできるようにする練習だとか、的外れなことに目を向けないでください。
「家族に本来を見せる」というただ1つの絶対できないことがあることにより、ずっとこのままになっている状態。
いい加減理解してください。
#知人 #できない素振り #的外れ
知人が自分に対して思っていることと実際がいろいろ全く違う。
知人は自分を見ていないこと、実際の自分とは関わっていないこと、
即ち自分のことをよく知らないということをどうしても自覚しない。
#自分のことをよく知らない #自覚しない
「生まれた時からずっと何もしていない」わけではない。
以前は常時そんなではなかったし、今も何もしていないのは知人がいる時に限った話。
何もしたことがない、何も知らないわからない人間ではない。
知人からしたらそう映るかもしれないが、違う。
非常に失礼です。
#何もしたことがない #何もしていない #失礼
理解がないことは明白。
理解させないといけないというのがまたもう嫌らしい。
大人なのに社会のルール上、保護者に理解させて、自分を動かして(操って)もらわないといけないだとかいう。。
人間やめたいと思える。
#理解がない #人間やめたい
あれら以外のことは全て理論上意味がない。
あれらの中にないというとこは、「意味がない」ということ。
#意味がない
「できない障害者だということを周りに理解してもらわないと1人で動けないだろう?」←これはあまりに酷い誤認。
「できない障害者だと思われているから」、できない。
思われていなければ何も問題なくできる。
できない環境をあえて作ってどうする?
いろいろ真逆なことを思われて、真逆のことをされ続けるから一溜まりもない。
#できない #障害者 #誤認 #真逆 #一溜まりもない
できないと思われているから、その人(知人)に配慮してわざとできないと見せかけるようにしているわけ。
その配慮の必要がない人(見知らぬ人)に、できないと見せかけるわけがない。
だからいい。見知らぬ人なら見ていてもできる。
いい加減このことを受け入れてください。
#できないと思われている #わざとできないと見せかける #配慮
家族が本来を見て真実を知ってしまったら、自分に対していかに無駄なこと、馬鹿げたこと、
見るに耐えないようなこと、いけないことをしてきたか、させてきたかが、わかってしまう。
それもわかってしまう。
普通に本来は見せない方がいいかもしれない。見せれない。
#無駄 #見るに耐えない #馬鹿げたこと
自分は「自信がない気弱貧弱…」ではない。
全くそんなではない。
「できることはできるとわかっている」から、あらゆることを認識していて想定積みだから、「不安」とかも皆無。
いい加減受け入れてください。
#自信がない #気弱貧弱
自分を知らない人が敵ではなくて、知っている人が敵。
見知らぬ人の方が自分を理解している。
こう言ってもどう言ってもこういったことは信用されず、受け入れてもらえないから、どうしようもない。
(いくらなんでも)この言葉の意味がわからないということはないでしょう。
受け入れてもらえないからだめ。
自分の言葉が言葉になっていなくて伝えることができていない=無能、知的障害者とか認識する人がいますが、酷いこじつけ。
しかし毎日見ている人よりも、会ったこともない見知らぬ人の方が自分を理解しているというのは本当、
何というか自分でも信じられないような有り様。
#敵 #受け入れてもらえない #信じられない #見知らぬ人
いなくなったら本当に万々歳。
冗談で言っているのではありません。
そうなったのはいままで家族が自分に対してしてきたことの結果。
「今はまだ何もできないからいなくなったらだめ」のわけありません。
この言葉は何だと思っているのですか?
今いなくなってくれて良い。
#万々歳
操り人の思うことに基づく、操り人の願望がとにかく優先され、ほぼ全く制御が効かない。
こんな状況、自分以外誰も耐えられないだろう。
#操り人 #制御が効かない
人は皆「自分は悪くない」ものとする。
自分の悪さは自分にはわからない。
#自分は悪くない #自分の悪さ
わざとできないかのように振る舞っているわけ。
できないのかと思ってできるように教えたり練習させたりというのがどれだけ意味のない見苦しいことか。。
#わざと #練習 #意味がない #見苦しい
何も言わないということは、「知っているかどうかわからない」ということ。
「知らない」ということにするのはおかしい。
どうしてそうするのか。
#何も言わない #わからない #知らない
できない証拠もないのに、自分は現状とにかくできないわからない糞だと思い込み、そう言い続けているなら、
そうだと自覚させさる(明白にする)ことをしてみればいい。
そうしたらこちらではなくて、そちらの方が誤解を自覚することになります。
「人からできないと思われている」のに実際はできるから、
あえてできないと思われるようにし、いつまでも本当にできないと思われて止まない。
#証拠なし #誤解
周りの人から「障害者です、できません」などと思ってもらえるように仕込むとか、「ただの」とんでもない罰ゲーム。
#障害者 #罰ゲーム
家族にこのことに向き合われると、今や「本気で」低レベルに見られていること、
「本気で」何も知らないできない知的障害者のように思われていることが目に見えてわかってしまい、何というかあまりに悲しい。
そんなでもう近寄りたくもない。
本気で本当に無能で障害者だと思われているわけ。
これでは本来は見せられない。
#低レベル #本来
以前は「家族以外の人がだめ」でしたが、逆転して「家族がだめ」になった。
「家族も」ではなく、「家族が」。
家族にも本来を見せないではなくて、家族「には」本来を見せない。
この方が良い。
誰もわかっていないが良い形になった
家族の人数と、この世にいるそれ以外の人の人数を比較してみればわかるでしょう。
家族以外の人全般がだめでは生きていけないが、家族がだめなだけならいつまででも1人で生きていける。
家族には「何を言ってる?全く良くない」と思われますが、こちらからしたら関係ない。
もう自分の人生にこの家族などいなくていいですから。普通ずっといるものでもないし。作り直すこともできる。
#家族がだめ #家族
自分自身が人に動かされるのは嫌なのに、人を動かすのはいいとかもありえない。
自分自身の好みや考えこそが万人受けする基準ではない。
自分自身という存在はそんなふうに思えてしまうのかもしれないが、それはない。
#人に動かされる #人を動かす #万人受けする基準 #自分自身
人に「話したりしないそういう人」だと思われて、「そういう人としてやりくりする流れ」が定着してしまうと、
もう何か度を越してその人のいる場面ではそもそもそういうことを(話したり)「しようとすることが」できなくなる。
だから練習や訓練でどうなるわけでもなくて、どうしようもない。
もう成長したので、これから環境リセット後にそうなるようなことはないまずないですが、
現状、身近なところに、過去にそういう人だと思われてしまった人がいる。
その人から離れることができれば、もうその時点でこの問題は終わるのですが、離れさせてもらうことができない。
だから、自分はもう終わり。
言っておきますが「できない」と「やろう(しよう)とすることができない」は全く違う。
貴方らは「コイツ↑何を言ってるんだ」とか思い、馬鹿にしたり嫌がったりするのかと思いますが、その前に聞いてください。
「〈できない〉を全て〈やろうとすることができない〉ということにしている」ではない。
「できない」もあって、それとこれとは全く別。
そのことが誰もわからないから、自分に対して適切なことが誰もできない。
操る人を排除して自分で動くしかない。
前者ならどういうあれでもまあできるので、できると言ってもいい。
後者があるから、だから「ずっと」このあり様。
それを考慮せず(その人の思うことに基づいて)ずっと同じようなことをしていたら、ずっとそのまま。
こんなにずっとなのはおかしいと思いませんか?
それがあるのが固有の特徴。
後者を排除すれば、それでもう良くなる。
わからないでしょう。だから知人(操る人)も排除となる。
#できない #やろうとすることができない #知人排除
重度知的障害者だと思って見ている人の前で普通にしてしまう(本来を見せてしまう)度胸はない。
知的障害者を演じ続けざるを得ない。
そう思われているから、それらしくして、おかしく思われないようにできている。
障害者だと思っている人がいて、
障害者という立場にされて障害者の場にいさせられていて、普通にしてしまったら逆におかしいでしょう。
おかしくないように、おかしくせざるを得ない。
#知的障害者 #障害者 #演技
本当に自分はただ障害者のフリをし続けていただけ。
この現状はありえないようなもの。それをわかっている人はいない。
#障害者 #演技
通所しているつもりは一切ない。
#通所
本当にできない変なやつではなくて、そう思われているから、そういうふりをせざるを得ないと言っている。
自分のことをそういうふうに思っている人の問題「でも」ある。
悪く思われたらその通りの人のふりをせざるを得ない。
その意味で悪く言うことに利点ない。
#素振り
「言われたくないことを言われると嫌」ではなくて、「間違えられている」から嫌。
言う人は正しいと思っているからそう言うわけなので、その人はこう言っても受け入れない。
#間違えられている #嫌 #受け入れない
ようやくたどり着けた。
ポイントを1000円+手数料分だけ貯め、最低額の1000円を(実体として)入手に成功。
だがここまでに要した時間は約半年。半年で1000円しか稼げないようでは、厳しい。
次は別のポイントサイトでもっと効率良く稼げる方法を模索する。
1000円はたった3日分のライフ。これが3日で消えてしまうと思うと心苦しい。
一週間分のライフを一週間で得られれば安泰)
#ポイントサイト #ライフ
本来を見せたらいきなり健常者。
だからできないわけ。
こういうことを言ってるわけ。わかってください。
訓練することで少しずつ健常者みたくなっていくではない。
そういうものではない。
貴方がこちらの立場だったら、いきなりではなく段階を踏んで健常者になっていけますか?
段階を踏んでいくなどということができますか?
意味わからないことを言われてると思いませんか?
自分も同じ。意味わからないことを言われているわけ。
#健常者 #段階を踏んでいく
そんなこんなで今や自分は人から「今産まれた人間」のように思われる。
そしてそれ相応な扱いをされる。
経験、知識無。記憶無。のような感じ。
それなのに「年齢の数字」はしっかり実年齢として見る。
何というか、人間なのに「人からこんなふうに思われる」ことが、信じられない。
生きているところを見ている時間が長い人ほどそう思っている。
本当ありえないようなこと。
#今産まれた人間 #経験無 #知識無 #記憶無
理解せず、何もできないと思って馬鹿にして何もさせないようにする知人もそうだが、
誰よりもできるしわかるのに、こんなふうに無能のふりをし続けて何もしないでいるのは「本当にできない人」に悪い。
#馬鹿にする #何もさせない #本当にできない人
自分だと思われている(自分と間違われる)そいつは自分にとって本当に邪魔な存在。
自分と間違われるから邪魔。
#自分と間違われる #邪魔
これほど理解していないのに、どうこう思ってどうこうしようとしたりするとかない。
そのこと自体間違い。
どうこうするなら理解するのが先だし、理解がないなら手を出すべきではない。
#理解していない #理解がない #間違い
「できるようになりたい」というより、「できる環境(即ち家族のいない環境)で生きたい」。
こういうことを言っていても、「できるようになりたい」としか目に映らず、
いままで通り無意味の定番「訓練」になってしまったら何にもならない。
#訓練 #無意味
自分の全てを人に支配されている。
大人になっても支配者から解放されることがない。一溜まりもない。
#支配 #支配者から解放
「できない」との見方ができないこともないが、
そのできないは「できないと思っている人に合わせてできないふりをしないようにすることが"できない"」です。
このような人はまずほかにいない。
誰しもが誤解し、無意味なことしかしてこない。
「できないと思っている人の前でできないふりをやめること」それができない。
それ以外に目を向けたら的外れ。だが誰しもがそのそれ以外にしか目を向けない。
皆が思う「できない」とは全然違う。
そのできないだと思ってどうこうしても的を外しているから何にもない。
だから何にもないのだと永遠と気付かない。
#できない #誤解 #無意味 #的外れ
知人のいない時に、いる時の自分が現れるとか、そういうことはない。
それが現れて予期せずできないだとかそういうことはない。
それが急に現れてできなくなってトラブル発生だとかそういうことはない。
そういうものではない。
なぜも何も「そういうものではない」。
だから「ありえない」。
そういうことがあるかもしれないから1人は危険←あまりに酷い間違い。
「やる」か「やらない」かを意思で選別している。
皆はその「やらない」の方をできないだと思っている。そうではない。
だからやれるかやれないかはやってみなくてもわかる。
知人が思っていることとは全く違う。
敵は知人だけ。
「〈できるという気持ちは持っているけど〉体が動かなくてできない」でもない。(←馬鹿げてる)
できると思いたい気持ちはやまやまだからそう言ってるけど体が言うことを聞かなくてできないでもありません。(←馬鹿げてる)
それ↑はできないということ。
なぜできると言っていると思ってる?
#酷い間違い #馬鹿げてる #敵は知人 #トラブル発生
家族も皆、(何も知らないにも関わらず)自分より上の立場だという意識が強いから、見下してきたがる。
#上の立場 #見下す
「知人がいなくてもできるように、知人がいる時に訓練させる」「家族がいなくなった時に備えて1人でもできるようにさせる」
↑これ、もう言葉には言い表せないほどに馬鹿らしい。あまりにも酷い考え。
「いるからできない」とどれだけ言ってる?
できるようにさせるとしたら、それはいる時。
毎日見ている人がそれだから、あまりに理解がないから、泣ける。
#訓練 #馬鹿らしい #あまりにも酷い #酷い考え
悪影響のあることをさせられ、自分はそれが悪いことだと知っていてもさせられるがまま。
させた相手がそれをわかっておらず、良いことだと信じてやまず、意地でも押し通てくる。
拒否したら逆にこちらが「悪」、あるいは「良いことを拒否する=変な人」とみられる。
人間は難しい。
で話さないとなると、もうめちゃくちゃにされる。
それで自分は家族にめちゃくちゃにされてしまった。
今や、家族の脳内の自分は変な勘違いだけでできている。一溜りもない…。
#悪影響 #変な人 #勘違い #一溜りもない
いろいろ対処できる自信も失敗しない自信もあるし。
#自信
おそらく、保護者の元から逃げて現状打破する(=↑のようにして1人で生きる)ことになる。
それしかないでしょうから。
「保護者がわかってくれる」ようなことはない。
状況が変わり、良いシチュエーションが生まれたら、その時にそうする。
だから、最も重要なことはその時に備えて「金を貯めておく」こと。極力使ってはいけない。
#現状打破 #逃げて #良いシチュエーション #貯金
皆、自分のことはほとんど誤解している。
こう言っても皆、自分自身が誤解しているとはまさか思わない。
正しいと思って言っているから、「自分自身は」わかっていると信じる。
「家族は」わかっているではない。家族も同じ。
皆かってに自分を構い、無意味なことをし続けていて哀れ。
哀れなことをさせてしまっている自分も哀れ。それでなくても哀れ。
構われると無駄に時間を奪われる。人の時間も無駄に奪っていると思うとまたたまらない。
#誤解 #無意味 #哀れ #無駄に時間を奪われる
「自分と同等かそれ以上」に衝撃的な同類の人はいると思うか?
#衝撃的 #同類の人
散策を長年本気で夢見ていた
#散策
大人になって大人どうしの会話なんかは1度もしたことがないので当然だが。
#大人どうしの会話
別に人に接触してもいい。
誤解しないでください。
だめ?のようなことは最初はそれだと全く頑張ることなくてのんきにいけるからいいか?
くらいのノリで書いたことであったと思った。
#人に接触 #誤解
行く気でいることもいたことも一切ない。
通所しているつもりになったこともない。
通所している人間ということを認めてもいない。
しているとしたらそれは自分ではない。
#通所 #行く気
どうしても容易ではないが、やはり最も実現できそうなのは、「どこか遠くで1人で暮らす」をベースとした方法での現状打破。
それをやるとして、具体的に考えてみると、いろいろなやり方ある。
「いつ、どうやってそれをやるか」がポイント。
#1人で暮らす
言っておきますが、(1人で生きるなら)別にいきなり社会に足を踏み入れることができないわけではない。
「それは家族に妨害され厳しい」+「確実性を高めたいからいきなりは控えたい」という感じ。
#1人で生きる #社会に足を踏み入れる #家族に妨害される
1日あたり300円分稼げるかorその時にある程度(3年分〈1年分でいいか?〉)のライフを持っているかどうかが鍵。
#1日あたり300円 #稼ぐ #ライフ
良いシチュエーションというのは、保護者の心が消えた(自分を忘れた)時等。
その瞬間にすぐに例のこと等をやり、現状打破する。
(「死んだ」ようなものだが、←その瞬間ではない。実際はドラマのように心と体は同時に死なない)
それなら、「自分が逃げたことにより起こること間違いなしの大騒動」を軽く済ますことができる。
なぜって保護者らしき人が一瞬不在になるから。
大騒ぎするのは保護者。
体が生きている場合、どうしても「心が生き返る可能性」が多少ある。
(生き返らない方がいいが)生き返ってしまったとしても、まあ良い。
死んでいる間にいける。
もしまた同じ保護者に保護されてしまうにしても、その間に1人で生きていれば、1人で生きれることがわかるので良い。
「今」、そのシチュエーションがあってそれをやるとなっても(まだ1年分もライフもないわけだが)、まあなんとかなると思う。
自分の力を誰しもの想像を遥かに越えている。
#良いシチュエーション #逃げる #大騒動 #大騒ぎ #生き返る #保護者らしき人が一瞬が不在 #保護されてしまう
(物心ついた時点で)家族を始めとした身近な人達の前で「その人が思っている自分の普通」になるように演技してやり過ごす形ができていた。
誰も全くわかっておらず、哀れなことに今そう言っても誰も信用しない。
演技=フリ。
#家族 #演技 #信用しない #演技してやり過ごす #物心
大げさな反応というのは良い意味でのあれだが、度を越してしまい、まずいと思えるような感じだった。
#大げさな反応 #まずい
本当に言葉通り。まさに、これらの言葉の通り。
信じて、受け入れて、理解してもらえないと、自分は救われない。。
「信じる」ことが、どうしてそんなにも難しいのか?
#言葉通り #信じる #受け入れる #理解 #救われない
「今」年相応の人間として見ても普通と違う常識知らずの人ではありません。
#年相応の人間 #常識知らず
中1から数年がかりで自主的に極秘で行った。
義務教育の内容なんかは当時の時点で完璧に把握(クリア)済み。
何も知識ないと思って、それ相応に扱ったり、配慮したりするのは大きな間違いです。
誰にとっても何もいいことはありません。
把握していることを前提として見てください。
ちなみに、今それを「完璧」に把握しているかといったら、それはない。
でもそれは「皆」そう。時が経てばある程度忘れる。
#極秘 #義務教育 #配慮 #間違い #忘れる
やればでき、失敗しない。失敗しても1回で修正できる。
#失敗しない #1回で修正できる
世界中に経験者0で誰にもわからないようなことで苦しむものの、
皆が思うようなことであからさまに苦しんできてはいない。(人生失敗になってしまったが。。)
何せ「自らは何もしなくていい」し。
#経験者0 #誰にもわからない #苦しむ #人生失敗 #何もしなくていい
「少しずつやれるようになる」とかない。
それは意味がわからないこと。
「やるか」「やらないか」なわけ。その間とは何ですか?
「やる」ということは、「障害者の演技をやめて“やる気”で取り組む」ということ。
だから、「やる」のに障害者でいるとかは、無理。
逆に無理。
皆、あまりにもわかっていない。
何がどういうことかわかっていない。
自分ができ“すぎ”ることも全くわかっていない。
#少しずつ #意味がわからない #障害者の演技 #障害者 #演技
「知人は自分のことを理解した上で自分をどうこう動かしている」ではない。明らかにそうではない。
皆「知人が(自分ではなく知人の方が)正しい、的確なことをしている」と思おうとするが、
知人は理解がなく、自分に対してすることはいろいろ的外れ、的外れからの的外れでめちゃくちゃなわけ。
知人は的確だとか、そう捉えるのは無理がある。
知人はほぼ何も隠さず行動している凡人。自分はそれをずっと見続けている。
それでこう言っている。信憑性あるはず。
#理解 #的外れ #凡人 #信憑性ある
家族が唯一の気をつけないといけない危険な存在。
わかっていないのに、自分を強制的に動かしてきますから。
自分を巡って大騒ぎもする。
「一般的な悪い人」などほぼ敵ではない。
家族が思っているような超絶弱者ではないから。
普通かそれ以上の人間とみていい。
#家族 #危険 #強制的に動かす #大騒ぎ #悪い人 #弱者
知人が「できるようにするための訓練」だと思ってさせてくる訓練は、全くそんなではなく、
「できないふりをする、演技の訓練」になっている。それだけ。
そうとも知らず、相手してくる知人も哀れ。
「知人の前でどれだけできるか?」は、即ち「どれだけ演技を控えめにするか?どれだけ力の抑制を緩和するか?」。
なのに知人は皆、どれだけ覚えられるか、把握できるか、スキル(幼児レベルの)を身に付けられるか、体を動かせるかだと思っている。
でそれ相応のことをされ、時間を潰される。
…もう、言葉で表現しきれないほどの馬鹿らしさ、空しさ。
常識外れなことは受け入れられず、常識の中の何かに当てはめてどうこうされてこの様。
常識外の人間はいろいろ悲惨。
#訓練 #演技 #演技の訓練 #力の抑制 #馬鹿 #空しい #常識外れ #悲惨
自分が家族の立場なら、家族ほど理解がないということは、「いくらなんでも」ない。
即ち何が良くて何が無駄かわかる。
自分なら、放置することもすんなりできるだろう。
理解があれば怖くないわけ。
想像の及ぶ範囲も家族より広いので、怖くなくす方法をほかにもいくつも見いだせている。
馬鹿なことに拘って制限かけたりもしない。
自分の「行動」が人を苦しめるとか、絶対に嫌なので、家族みたいなことはできない。逆にできない。
#家族の立場 #理解がない #放置 #制限 #人を苦しめる
自分の理解者が1人も現れず人生が終わってしまったらと思うと本当焦る。
本当にこの世に理解者0で終わってしまうかもしれない…
#理解者0 #焦る
常識外、ほかに例を見ない、現時点で人間が定めたことに当てはまらない、通常とは逆、誤解され続ける、軽視され続ける…
「今生きている人間(80億人)の中で、最も驚くべし人間」かもしれない…そんな存在である自分の詳細。衝撃告白。
#常識外 #例を見ない #誤解 #軽視 #80億人 #驚くべし人間 #衝撃告白
「演技をすることが発展」と言いましたが、それは具体的に言うと↓
できることがわかると驚かれるので、できないフリをする→できるところを見られないようにする→
行動しているところを見られないようにするような感じになる→行動できないと思われる→
行動すると驚かれるので本格的に行動しないようにする→大人しくしていたら話せないと思われた→
話すと本性もわかる驚かれる→話さないようにする→障害者と思われる→話す能力がないなどと思われる→
最重度知的障害者と思われそれ相応の扱いをされる→それらしくないと驚かれるので、知的障害者のフリをする→
最重度知的障害者となると、あれこれできるわけない知るわけないと思われる→とにかくできないわからないフリ→
人間が当然の如くできることができたらそれで仰天させる→人間ではなくなる…
こういうように負の連鎖が続いていったようなそういう感じ。
周りの理解がなかったことでどんどん何もできなくなった。
どうして何かしているところ見られないようにするようになったかというと、理由はこれ。
できないというか、そうせざる得ない感じでやろうとすることができない。
わかりにくいがそこがポイント。
脳の作りがどうこうではない。
脳を覗き見ればわかる。
上々の出来栄えであるのに、欠品だと思ってそれ相応にどうこうされて、もったいない。
#演技 #驚かれる #話す #話さないようにする #話さない #仰天 #負の連鎖 #理解がなかった #脳欠品
こんなことをして、平気でいて、相手も平気でいるものだと思っている。
人を何だと思っている?
#平気
相手に良いことをしているつもりでも、間違っていてその相手が良くなかったら、その人はそんな良く思わない。
そうでしょう?
良いことをしてあげてるから良いやつと思え?←わかっていない。
理解してくれていなかったら、良くないと感じる。
#間違っている #理解していない
もう1度言います。誰のせいだとか、そういうことは考えない。
ほとんどコイツのせい、アイツのせいだとか思っていない。
全ては「空」。
#誰のせい #空 #一切皆空
良いことだと信じて精一杯善意を持って行ってきたことが誤解で、別の人は精一杯善意を持って逆のことを望んでいたり、
ある人にとっては良いことでもある人にとっては悪いことだったり、信じて望み続けていることが間違いで無意味なことだったり…
善悪の基準はよく分からなかったりするもの。
全ては空だから、神も悩むだろう。
#善意 #誤解 #無意味 #善悪の基準 #神も悩む #空
知人が自分にしてきたこと全て無価値ですからこちらからすると、自分に何をしている?頑張って何をしている?
知人は自分の何に苦しめられているんだ?という感じ。
知人がやらせてくることに自分は乗っていないし(無価値ですから当然、乗るはずもない)、自分は何もしてるつもりはない。
かってにどうこう思ってどうこうさせてどうこうして…
こちらから見ると知人は自分自身で自分自身を苦しめているだけ。
…それだけならまだいいが、派手に自分を巻き込むから嫌らしい。
何もしてこなければ自分でするのに、、本当馬鹿らしい。
#無価値で #自分自身を苦しめる #馬鹿らしい
今逃げたら、保護者は死に物狂いになり、通報された上で「自分は障害者と認識させられている知人」総勢で大捜索される。
間違いない。
それが怖くて逃げれない。
死に物狂いにならない通報しない知人にどうこうさせないというなら(←まあありえない)、今にでも逃げる。
#死に物狂い #通報 #大捜索 #逃げれない #逃げる
- 自分、仰天まとめ -
・知人全般から言葉も文字も場所もわからない記憶もない動けない何も知らない
何もできない「今産まれた人間」のように思われている。(即ち最重度知的障害者だと思われている)
・産まれてから毎日見ている人達にも、↑そんなふうに思われており、
幼児のころから知っていることを未だに知らないものと思われ続けている。
幼児のころからできることを未だにできないものと思われ続けている。
・↑そうではないこと(その逆だということ)がバレないようにやり過ごせている。
・誰も自分を知らない。毎日見てきた人も知らない。
・毎日見ている人よりも、見ず知らずの人の方が断然理解がある。
・永遠と知っていることを教えようとされ続ける。できることをできるようにしようとされ続ける。できることの訓練をし続ける。
(そうしようとしてくる人の方が圧倒的にできないわからない)
・大きく誤解され、全く無意味なことをされ続ける。しかも永遠とそうされるがまま。取り返しのつかないようなことでもされるがまま。
・逆のことを思われ、逆のことをされ続ける。相手からすると、こちらが逆のことをし続けている。
・この世に理解者0。誰1人として誰にも理解されていない。
・人に付かれ、自分の意思で動かず、人に操られ続ける人間。(例えるとゲームの操作キャラ)
・普通に人間と思われない。
・学校で普通に授業を受けたことがない。学校でノートを開いたことがなければペンを持って字を書いたこともなかった。
・学校で人と話をしたことが1度もなかった。
・3年半、学校で1分以上座っていたことが1度もなかった。
・勉強を「人から教わる」ことはほぼ一切していない。
#仰天 #最重度知的障害者 #理解者0 #誤解 #無意味
できるできないとかではなくて、やらない。
できないからやれない、だからできるように特訓とか的外れ。
#的外れ
皆ボケている老人施設の中にいるただ1人のボケていない老人などを見てもつくづく思う。
度胸あると。
自分ならボケている素振りをすることを考える。
そうしないと浮きますから。
同じようなことを思う人がもしいたとしても、そういう人はそういう場にはまず行かない。
自分は行かせられたら行かされてしまう。
「行かない」と思ったところで行かないようにはできない。
行かせる人はある意味良いが行かせられる(動かされる)側は苦しむことになりいろいろ悲惨。
#ボケ老人 #ボケ #素振り #苦しむ #老人施設
病人の集団の中に健常者がいたら不謹慎だし、それは完全にいけないこと。
知的障害者の集団の中に何のハンディキャップもない知的に障害なしの人がいたら…それも同じ。
できないように見せかけるようにしているから、この現状が維持できている。
知人の前で行動したら(本来を見せたら)、不謹慎だったこといけないことをしていたことを「バラす」ことになる感じになる。
本来を見せれない(やれないできない)感じ(空気感)になるでしょう。
それなのに、できないから障害者の居場所でできるようにだとか、めちゃくちゃ。
#病人 #健常者 #不謹慎 #知的障害者 #ハンディキャップなし
知人に何かやらせているつもりは全くない。
かってに自分にあれこれしてくるだけ。
なのに「自分にやらされている」だと思って悪く言われるから、たまらない。
#悪く言われる
「話してもいない見てもいない」のに、かってにどうこう思ってどうこうさせてくる。
ありえない。
で全部間違っている。で酷さに気づかない。
自分でしていることは現状打破に近づく要素があるので、そういった意味でまだ価値がある。
知人とどうこうさせられるのは、ただただ時間を失うだけ。
何の価値もない。
#話していない #見ていない #現状打破 #時間を失う #価値がない
欲を言うと、逝くその前に苦しめたい。
理解がなく、間違い、それにより良くないことをし続けてきたことに気付かせ、
そのショックでいなくなって(逝って)くれるのが理想。
#苦しめたい #理解がい #間違い #ショック #逝く
「なぜ(こういった現状打破法を)実行しない(逃げない)?大人なのだから自分の意思で好きなようにできるはずだ」
的なことをと言われましたが、間違いです。
そういうこと↑になるわけ。
あと家族は“いる限り”無視することができない。
いや、無視してはいけないとされている。
障害者ということにされてしまった今の状況ではいろいろやってはいけないということにされていたりする。
#現状打破 #無視してはいけない #障害者
家を出れない自力で生活できない(←誤解)のに、↓↑こういったことを言うはずありません。
これら言葉が何だと思っている?
家を出るのは出ればいいだけ、自力で生活するのはただ自力で生活すればいいだけ。
それが「無理」だとか意味がわかりません。
自分にはわからない。そんな次元。
腹を満たす手段?店で何か買って食う。それだけ。
当然のことすぎて、言わないといけないことだとは思いもしなかった。
言っていなかったのはだから。
何が自覚ですか?
そんな簡単なことを無理と自覚だとか笑えます。
知人がいなくなっても確実に死にません。
試しに放置してみればわかる。
「死なない、何もない」ことが。100%と言っていい。
どれだけおかしいやつ悪いやつと思った上で馬鹿にする?
#無理 #自覚 #放置 #おかしい #悪いやつ #馬鹿にする
誰が普通に年相応の人間として見ることをしてはいけないと言った?配慮しろと言った?
誰がそうすることが的確だと言った?正しいと言った?そうしてほしいと言った?
誰が低い、弱い、悪い人間だと言った?できないわからないと言った?
こちらの望むこと、真実とは逆のことをしてひたすら嫌がらせたい?
#年相応 #配慮 #嫌がらせ
できないと思われているから、わざとできない素振りをしているとどれだけ言った?
できないと思っている家族らがいなければ、素振りなどしないから自分で生きれ障害者にならない。
「本当にできない」わけではなく、そういう人とは全く違う。
「わざと」「演技」「素振り」「見せかけ」「騙し」
何十回言えばわかる?
日本語がわからない?
#できないと思われている #わざと #演技 #素振り #見せかけ #騙し
動かされる身で動かす人と話しておらずあまりに理解されていないため、無意味どころか逆効果なことしかされず、
自分はこの有り様であり続け(現状維持し続けられ)てきた。
「自分で行動して良い」となればもう即現状打破。
動かす人は何もわかっていないのにどうこうしてきたひたすら馬鹿らしい。
動かされる身なのが敗因。
自分を出せるようになりある程度伸び伸びしていられるようなったその他の人達のようにいかない原因はそれ。
#無意味 #逆効果 #現状維持 #現状打破 #馬鹿らしい #敗因
よく間違われるのでもう1度言います。
だめなのは人全般ではなくて、(家族と面識のある)知人。
#人全般 #家族と面識のある知人
「知人」と「その他の人」はもはや全く別。
#知人 #その他の人
知人らの理解度は本当、信じられないような次元。
自身の思っている自分の形を一旦全部崩して構築し直していい。
#知人 #理解度低 #構築し直し
この「半年で1000円」が「1日300円」になればいいわけ。(ネットでの収入の話)
そうなれば「社会に出ずに収入を得る良い方法」を確立したことになる。
即ち現状打破にかなり近づく。
何かおすすめの方法があったら教えてほしい。
そんなでネットでできる時間があとどれくらいかあれば、現状打破できそうだとも思う。
なのにネットがあったらできないやるなだとか言われる。
そう言われるのはその人が何もわかっていないからこそ。
どう考えようにもほぼ確実に言えることなので、無視しないといけない。
知人と少しの間距離を置くような場合も、これを確立できているかどうかがわりと重要になってくる。
もう会うことがないような場合なら、社会を応用していくようなこともできるわけだが。
#1日300円 #収入 #ネット #現状打破
他人と話せなくない、「即ち」他人の前で動けなくなるようなことはない。
#他人
ネットで毎日300円稼ぎたい。
それだけでいい。
#ネット #毎日300円
家族・家族と面識のある知人がいなければ1人で生き続けられる。「「確実」」に。
無知により誤解してそう思い込んでいるではない、誤解しているのはそう言う人の方。
家族がいなくなり家族の操作下から解放され1人になれば「「確実」」に現状打破し幸福を手にすることができる。
これを否定し受け入れず別のシチュエーションを想定してどうこう言ったところで何も良いことはない。
言ってしまうと無意味でしかない。見苦しい。
↑これらを受け入れて認識してください。それができないなら自分に対してどうこうしない。
#無知による誤解 #誤解 #解放 #現状打破 #幸福 #否定 #無意味 #見苦しい
家族らは両者(演技中とそうでない時)を同じ人間として(同一視して)見ているところがまた致命的。
#演技 #同じ人間 #同一視 #致命的
どうしても、操る人の好きかってに操られざるを得ないから、どうしようもない。
家族に囚われる身から逃れられなくなった時点で終わりだった。
人には人のことがわからない。わからない人に動かされても何にもならない。
動かす人がそれをわかっていない、わからないから終わっている。
自分でさせず、動してあげようとする考え自体終わっていると言える。
#操られる #家族に囚われる身 #終わり
自サイト(このサイトとは別)経由で来た人以外の人の反応を知ることを1つの目標に掲げています。
(できれば同様の人がいいが、そうでなくても構わない)
#反応 #目標
数年かかり、ようやく目標達成。(この通り→質問)
しかし1人から反応を得るので精一杯。
「反応を得る」そんなに簡単そうなことがどうしてこんなにも難しいのか?苦労を強いるのか?
笑える。
特に驚いている様子もなく、わりと素っ気ない反応。
たいしたことはなかった。
大多数の人はこういった感じなのか?
こういった他者の反応は役立つが、結果、たいしたことなかった。
1人でいいので「同様な人の反応」も見てみたい。
#目標 #反応を得る #素っ気ない反応 #他者の反応
単純に知的水準が低く、「知的障害者に近い存在」なのは知人らの方。
こちらからしてみると信じられないような低水準な思考回路。
少し頭を使うことをすると、すぐに自分との知的水準の大きな違いがわかってしまう。切ない。
自分は知人にそんな知人自身より遥かに低水準なものだと信じられているから泣ける。
#知的水準 #知的障害者 #思考回路 #低水準 #切ない
知人らは「話す」ことは無理だが、「動く」ことはできるかもしれないみたく思っている。(で話すのは無理だから話すな的な感じ)
皆そう思い、その上でどうこうしてこられる。
そのような中途半端なことはない。
普通のできないとは違うから、そういうものではない。
基本情報に書いた通り、話さない時は即ち…以下省略なわけ。
演技なのだから、どちらか一方となると、それは「中途半端に演技」という形になる。
動くのは話してもいい場合。話さないなら動くつもりはない。
…呆れるほど厄介、人にどうこうされる身なのは。人に他人のことはわからないのに。
#話す #動く #無理 #中途半端 #演技
「頭が悪い」と、自分自身ではなく相手が頭が悪いものかと思い込んだりする。
はっきり判断ができず、単純に自身の思ったこと信じることに任せる。
自分は悪いと思っていないがために人に当たる。
過去を忘れ、過去を適当に良いように変えてしまったりもする。
確かな記憶や確かな証拠がなく過去のことに関する発言するのが当たり前になっており、間違いを真実と思い込む。
いろいろなことにおいてそう。間違いを真実と思い込む。
ある意味怖い。「頭が悪いことは罪」とも言える。
#頭が悪い #間違い #間違いを真実と思い込む #怖い #罪
社会に出ず〈できれば口座なしで〉)生き続ける良い方法は?
#社会に出ず #口座なし
体→「非常に」快適に動けるし疲れることのない身体
#快適 #疲れることがない
今や重度知的障害者として、「重度知的障害者に当てはめて」、どうこう思い、どうこうしてこられる。
こうなるとその素振りをせざるを得ない。
そうしても全てが無意味(的外れ)で時間を失うのみ。
なのにどうこしてくる相手は何もわからずいい気でいて、自分もいい気でいるものだと思っている。
#重度知的障害者 #無意味 #的外れ #時間を失う
常に構われなければ完全に現状打破ということになる。
#現状打破
こっちは何もしていないのだから、気にしなければ何もない。
かってに人に対してどうこうしてきてその人に苦しめられてるみたく思うのは、その人に失礼。
その人が派手に巻き沿い食らうし。
自身の考えしだいで苦しめられないようにできる。
気にしてくることを本当馬鹿らしく思う。
#苦しめられてる #巻き沿い食らう #考えしだい #馬鹿らしい
できるだけ早く消え去ってくれることを心から願っている。
#消え去って #保護者
幸せになってほしいと思われていると、逆に不幸せになることをされる。
私物化もされてしまう。
自分にいたっては特にそう。
そういう普通の想いを持たれていると良くない。
何せそれが幸せではない。
自分が逆の立場なら絶対にそういう好意が裏目に出るようなことにはならないようにする。
「好意が裏目に出る」ことには厳重に気を付ける。
それがいかに大事かがわかるから。
#幸せになってほしい #不幸せ #私物化 #好意が裏目に出る
このまま(現状維持永遠継続)でいいとは思わない。
「無駄だらけで惜しい人生」だし、もう「演技を見せるのは恥ずかしかったりで無理」。何せ大人。
やりたいこともある。
あとこのままで良くない大きな理由がもう1つ。
家族は近々、日々24時間演技して生きさせようとしている。
演技だの実は真逆の別人だのそういうことは何もわかっていないから、平気でそんなこともさせられる。
日々24時間一生涯何もできない人を演じて何もせずに生き続ける、それがどれだけやばいと言えることか。
いざそれをやればそれができないことを理解するだろうが、その際並みならぬ危険に晒されることになる。
自分に残された時間はもう残り少ないかもしれない。
演技だとか、知人が受け入れないから理解がないから拘って真実を知ろうとしないからとか、
常識肩書きルール動かす人の気持ちがどうこうとか、そんな理由で自分は終わるかもしれない。
皆、馬鹿げてる。
その(日々24時間演技の)リハーサル的なシチュエーションがあったことが何度かあるが、
いずれも想像をも越えた「危機的」な状況に陥っている。
少しだが逆に日々24時間演技させないで生きるリハーサル的なシチュエーションがあったことも何度かあるが、
その時は当然、まずそのようなことはない。
家族は何もわかっていない、何も知らない。
皆あれこれ逆のことを思っているが、安全、危険の認識も逆。
24時間演技(知人に託す)のは安全(安心できる)、24時間演技させない(1人で生きる)のは危険(いきなり大動揺)という有り様。
重度障害者ということにされていて、重度障害者の常識を当てはめてこられるので、
即ち人に世話させるべきそれが安全1人で生きるなどとんでもないといった認識を持たれる。
家族らは自分を「できない」「無知」「悪人」と本当に思っている。
(誤認。話していないから何もわかっていない。わかっていないこともわかっていない)
それにより1人で自由に動くことをかってに危険視してこられる。
早いところ失踪した方がいいが、その時は慎重に見極めないといけない。
#現状維持 #無駄だらけ #惜しい人生 #演技 #危険 #残された時間 #馬鹿げてる #リハーサル #重度障害者 #できない #無知 #悪人 #危険視 #失踪
よくわかっていないのにどうのこうの言うのは失礼なことになり兼ねない。
よくわかっていないのだから、間違いだらけかもしれないわけだ。
せめてそれで決めつけて堂々とどうこう言うのはよしてほしい。
#よくわかっていない #間違いだらけ
苦しみ(不幸)→家族らが自分に対してしてくる行動
#苦しみ #不幸
クセ者。
その人自身がその人の思う障害者にあたる。
#クセ者
全部演技でそれ以外に何もないと言っている。
かってに人間の一般的なこと、人間がこれまで定めたことの何かに当てはめてどうこうしてこられても全て的外れで何も良いことない。
どうしても自分は知らないから自分では的外れと思い込んでるみたく思う。
知っているからこう言ってる。
知識があって真相をわかっているからこう思っている。
「知らないわかっていない」なら、知人らを信じている。
無知だった赤子に近いころは信じていたわけ。
いろいろ思っていることが逆。
…人は、どうしようもない。
演技中のやつは自分とは関係ない。
そのやつを見た感じでどうこう判断するのはおかしいこと。
#演技 #的外れ #赤子
知人の知る自分は、自分の要素にない。
なのに、知人は自分をその「知人の知る自分」をベースとして見ている。
9割その人の要素を自分の要素として、自分として見てこられる。
どうしても、そう見てしまわれる。
知人が自分を語る際に出る話の9割がその自分に対すること。
その自分のおかしい要素を語る。
自分というと、それ。
まるで自分のことを語っていない。
自分のことは何も知らない。
自分はまるで孤独すぎるゴースト。
これだからやられることが悲惨。
#知人の知る自分 #自分の要素 #孤独 #悲惨
操られ、させられていることを自分のしていることにするのは本当、失礼。
自分なら絶対にしないわけ。
一溜りもない。。
だが操る人、周りの人はそのことを、わかってもいない。
誰も何もわかっていない。
#失礼 #一溜りもない #操る人 #わかっていない
障害者を装っている人はいるにしても、ここまで1日のほとんどの時間、(しかも小1から)派手に障害者の演技をし続ける人はまずいない。
このような人はいない。ほかに「いない」と言える。
#偽障害者 #演技
動けるかもしれない。
でも話すのは無理。だから話すな的な感じだったり、話させることは眼中にすらなかったり。(大誤解)
#話す 話すな #無理
やって良いのか、良くないのか。
どちらかによってきっぱり分かれるもの。
動いてもいい時は、話してもいい時。
長年見ていても、そのこともどのことも誰も何もわからない。
#動いていい #話していい #何もわからない
家族との関わりさえなければ馬鹿げた間違いも無駄も何もない。
#家族との関わり #馬鹿げた間違い #無駄
知人は知識が薄く視野が狭い人ばかりで、いろいろそれができることを知らなくてそれは違うと思い、
逆に自分の知識が薄い、薄いから誤解していると思い込む。
自身の思うことを曲げず、惜し通す。
話し合わないからには何でもその人の思いのまま。
本当、人は嫌な気質ばかり。
#知識が薄い #視野が狭い #誤解 #惜し通す #話し合わない #嫌な気質
自分にはそれ(社会実績)がないために、自分の何を見ることもなく「無駄に生きてきた無の人間」と認識される。
逆に社会での、公認の、結果を出したことがある、学歴のある職歴のあるとされる人はそう言うだけで、
その人の何を見ることもなく素質からして有能で何もかもできると思い込まれる。
言ってしまうとそういうの本当、嫌い。
#社会実績 #無駄 #無駄に生きてきた #無の人間 #社会 #学歴職歴 #嫌い
知人が見守っている場面と、そうでない場面とは別。
ほぼ別人として見ることこそが基本。重要。
そのことを多少知っている人達も、
あくまで「多少」で、ほぼ別人とまでは全く思っていないからなのか多少曖昧だからなのかそれを広めようとはしない。
これだから的外れなことまみれで悲惨。
「場面に応じて違う」ことが最大のポイント。
#場面 #ほぼ別人 #的外れ #悲惨
知人らは「本来でない方しか見ていない」から、
(本来の存在を知っていようがほぼ受け入れず)できないわからない無理知的障害者と同類みたく思う。
逆に「主に見ているのが本来の方」であったなら、(本来でない方の印象が薄く)健常者と同類と思うものと思われる。
実際、家族は基本本来しか見ていなかった時はそう(健常者と同類と)思っていたわけ。
で自分はその時と変化ないわけ。
この現状、オカシイでしょう。
しかし、誰も何も気づかない。
#おかしい #本来 #できないわからない #無理 #知的障害者 #健常者
できないと思われているからできない。ずっとそうで、いまだにそう。
で断じて「できないんだ」というその考えを変えない家族は自分にとって「最悪」と言える気質。
運悪く家族に外れてしまった。
#できないと思われている #最悪 #運悪い #外れ #親ガチャ
できすぎることで悩む、空気を読んで力を抑え、その力を隠す…そのような人はいない…
と思いきや、ギフテットの人は自分同様「自身の能力を隠す」(!)傾向がある模様。(動画聞き流しサーフしている中で知った)
普通気にならない些細なことが気になってしまうだとかそういうおかしなことは自分にはないが、
ギフテットの特徴には当てはまるものが多い。
身近な人がそのことをわかっていれば、全然違った(今でも違う)のだが。
傍からは全くそのような人だとは思われてない。
傍から思われることは決まって「頭が悪い。どこかが悪い」。
#できすぎる #力を抑える #力を隠す #ギフテット #頭が悪い #悪い
皆自分は並外れた低水準、即ち価値のない人材だと思っており、時間などを奪っても、惜しいとも何とも思わない。
#低水準 #価値のない人材 #時間を奪う
迷信を信じ続ける人がいるように人は根拠がなく何もないことを信じ続けられる。
その通りにならなくても、何かが足りなかった、その程度で済んだ、良いことへと通じる何かだなどとし、
どうにでも肯定的にポジティブに解釈できるからだ。
#迷信 #肯定的 #ポジティブ #解釈
知人は自分を気にせず忘れて、いなくなったもの見えないものと思うようにすればいい、簡単に言うと何もしてこなければいいそれだけ。
それが知人が自分にするべき(的確な)こと。
するというか、するをやめることをすること。しないことにすること。
#何もしてこなければいい #的確 #するをやめる
そうそう金を使わないのはだから。
そもそも金がない。
こちらにとって「金がいかに貴重なもの」かわかりますか?
普通の視点で見てください。
何せ無収入。使ったらいつまでも金は戻らない。
金を使ってもたいして惜しくない状況下なら、現状でももっといろいろなことができる。
「無能で金を使う能力がない」だとかよく思われるが、
本当、仰天しすぎて仰天を通り越し、唖然とする。。
信じられない。
頭がおかしいと思われているとそれ。そういう意味に捉えられる。
というか、頑なにそういう意味にしか見られない。
そんな無能なら、ゲームで遊ぶようなこともまともにできないはず。不幸人。
#金を使わない #金がない #金 #無収入 #仰天 #頭がおかしい #不幸人
ある程度までを容赦範囲とし、その容赦範囲を越えてしまわないように力を抑えわざとできないと見せかけるようにし続けてきた。
ある程度以上にできないと見せかけるように、ある程度の基準に達しないようにし続けてきた。
物心ついた時点からずっとそうし続けてきた。それが自分の基本。
ありえないようなことだからか、周囲の人達は長年長年見続けていても全く気づかない。
で長年気づかなかったことで今更信じない。
驚かれたり誉められてしまうとある程度以上(容赦範囲越え)だったということがわかり、
撤回させるかの如くもうその誉められたことなどをやらないようにしたり(すると本当に撤回になってくれる)し続けてきた。
誰もこんなことだとはまさか思わない。
どれだけ理解されておらず、どれだけ的外れなことをされ悲惨な想いをし続けてきたことか。
誰もわからない。
誰もわからないから、家族に至ってはしかも単純だから、できない、それはできないということ、本当にできない、低い水準などと思うのみ。
自分の常に持っていた基本をわかっていなかった。
いまだにわかっておらず、いろいろ全く違うことを思っている。
で全く違うことを思っているのに、どうこうしてくる。
でこちらとしては苦しまされるばかり。
家族にはわからない。
#力を抑える #物心 #信じない #的外れ #悲惨 #単純 #低水準 #苦しまされる
わざとそうしているわけ。
できるようになれるもなれないも何もない。
わざとなのに、できるようになるも何もない。
何もわかっていないのにどうこうしてこられ一溜まりもない。
できるできない治る治らないだとか、そもそもそういう話ではない。
#わざと #わかっていない #一溜まりもない
ほぼ不正取得。
普通にしたら、そのことをバラすような感じになる。
非常に演技をやめにくい。
あからさまにそれは絶対違うなどと言い張るのは自分のことをわかっていないから。
障害者扱いされ障害者に見えるように演技するしかなくなる自分にとってデメリットしかない不正取得。
不正だからこそ知人には本来は見せれない。
いくら言ってもわからない。
#不正取得 #演技 #障害者 #障害者扱い #デメリット
「2度と戻らない」というのは正しくない。(逃げて現状打破した時の話)
「2度と戻らない(知人と2度と会わない)「覚悟」を持って」というのが正しい。
もしもだが知人とも話せるか?という気持ちになってきたら話しをしに戻る)
#2度と戻らない #覚悟 #話せる
他人にはわからないことがある。
持っている知識とそれに基づいた考えはそれぞれ違うわけ。
相手のことを知るのは相手自身。
わかったつもりでどうこうしてくる行為は恐ろしい。
よくもそんな人を苦しめ兼ねない行為を気兼ねなくできるもの。
#知識 #恐ろしい #人を苦しめる
しかも自分は誰にも理解されていないため、失踪するしかないわけ。
それに備えて金を貯めておくことが非常に重要でもあるわけ。
#理解されていない #失踪 #貯金
組織の中で知人と過ごすようなことは、普通のそれとは大きく違う。
演技で意識的にしないようにしているわけ。
「頑張ったり」「好きにしたり」そういうことは片時も一切しない。
それが、そういうことをして過ごすよりも有意義だと思う?
ただ時を無駄にするだけ。
加えてどういう苦しみを感じると思う?
…わかっていない。
#演技 #有意義 #無駄 #苦しみ
家族らも皆、こちらの嫌なことをすることに徹し、喜ぶことをしてしまわないようにしているようにしか見えない。
#嫌なことをする #喜ぶことをしない
信じていることが正しいかどうかの確証ない。
たいていの人はそれに気づいてすらいない。
自分自身が良いと信じていれば、人が否定していても関係なし。
信じられない。
そんなことができる人の心は頭はどうなっているのか?
#正しい #否定 #信じられない
何もわからず、いまだ教えられることをし続けていないといけない未熟者だと思い込まれている。
#未熟者 #教育
できない(素振りをしてきた)のは、思いのほかでき「すぎ」る知り「すぎ」るから、それを隠すため。
できない人の集団(即ち障害者)の一員にする行為は、この上なくできないを引き出させる最悪な行為。
「できること知ることが普通」の場でないとできない。
できすぎるわけ。それにビビられてはいけない。
それが根っからの基本だというのに、知人はそのことがどうしてもわからない。
#できない #できすぎる #知りすぎる #最悪
できる人からすると、人を頼ることに利点がない。
#できる人 #人を頼る
囚われの身で、自分で動くことが許されない。
それが(障害者の証がある限り)永遠にですから。
気が知れる。
#囚われの身 #障害者
家族らにさせられていることをしているつもりは一切ない。
#家族
猿が人を無能だと思って馬鹿にしているようなもの。
#猿 #人 #無能 #馬鹿にする
熱心に構われるほど、派手に演技し続けることになる。
健常者に見えないようにどれだけ気をつけないといけないか、どれだけ心苦しいか、どれだけ恥か。
そのことがわかる人も世界に「誰1人」おらず、皆、派手に演技させるようにしてくるから地獄。
皆構ってあげていることが良いことだと思っている。
構われていればいるほど残念だというのに。
構われがちな日は、残念な日、苦しみの日でしかない。
#熱心 #演技 #健常者 #心苦しい #恥 #地獄 #残念 #残念な日 #苦しみの日
「できるように頑張れ」だとかも酷すぎる。
こちらからしたら的外れで意味がわからない。
何せ頑張ってできないように見せているわけ。
できないようにすることを頑張っている。
…全くわかっていない人に操られる悲惨さ空しさ苦しさ恐ろしさは凄まじいもの。
頑張らなければできる。
頑張っているから、知人らはまんまと「自分はできない」ものと思い込んでいる。
#頑張れ #酷すぎる #悲惨 #空しい #苦しい #恐ろしい
知人らは自分を現状打破させることは恐ろしくてわからなくてできない難しすぎることだが(馬鹿らしい)、
自分では思いきればその時点で即できる。いつでも即できる。
ただ家族の元から去ればいいだけ。
それだけで知人らが問題だと思っているようなことは何1つなくなり普通に人間として生き続けられる。
何も難しくない。
そういうもの。病気を治すだとか的外れ。意味不明。
#現状打破 #馬鹿らしい #病気を治す #的外れ #意味不明
自分、「読むのが苦」だという方は、自分簡素版↓をご覧ください。
https://o-my-o.tk/Light.html
#自分 #読むのが苦
…こういうようにし続けることで、まんまと生まれてからこれだけ長い間、
本当に能力の程度を知られることなく(能力がバレることなく)やり過ごせている。
凄いでしょう。
#能力 #凄い
「場面に応じて違う」ことが最大のポイント。それが根からの基本。
だが家族が本来を見ないようになる(本来でない方即ち片方しか見なくなる)と、「場面問わず常に同じ」のように思うようになり
それにより誰からも"常に同じ"のように見てこられるようになってしまった。
実際は「家族からしてみたら常に同じ」というだけ。
家族に間違われると悲惨。
皆家族の言うことを鵜呑みにしてそれを自身の認識とする。
で皆何の気兼ねもなく「家族がさせようとしていることに基づいて」動かそうとしてくるわけ。
恐ろしい。
#場面 #悲惨 #家族 #恐ろしい
同類のような人を見ると、自分が良い意味・悲惨な意味でこの上ない高みにいることがよくわかる。
やはりほかにいない衝撃の人間。
ほかにいないなどと言うと、同類の人の存在を知らない無知だとか思われる。本当いろいろ派手に不愉快。
酷い誤解。本当わかっていない。
#衝撃 #悲惨 #無知 #不愉快 #誤解
見知らぬ人と何度か(話してみれるシチュエーションに巡り合い)話してみて自分の傾向がわかった。
言いたいこと言う、そういう特殊キャラをやるみたいな想像を散々してきたが、いざ話すとなると、普通に普通のことしか言えない。
それは普通のこと。普通でないことを言ったら変な目線で見られ悪く思われること間違いなし。自分は普通だった。
で「自分に関すること」で、「普通のこと」がほとんどない。
つまり自分のことを問われると、正直に答えた場合、普通の回答にならない。
で「普通のことしか言いにくい」ので、言葉につまる。
これがあれ。
こうなると、嘘を言う必要がある。
だが嘘も言いにくい。
1番問題?は「嘘が言えない」こと。
それが今、唯一存在した問題。
「嘘をつく」スキルが足りない。(なのでそれは練習の意味がある)
普通に、たいていの場合、正直に言ってはいけない感じ。
本当のことを言ってしまうと、何を言っているんだとおかしく悪く思われるわけ。
信じられず受け入れられず、異常者に思われたりもするだろう。
目をつけられ、面倒で馬鹿らしいことにもなり兼ねない。
自分はあれこれ「常識外のこと」ばかりなため、「この社会」ではいちいち「嘘」を言わないといけない。
常識的に生きてきて、普通にしているしょぼい凡人と思われるように嘘を言わないといけない。
…嫌な感じ。
これだからこの社会では生きたくない。
社会で生きる場合、それが社会の悩みになるのか?
どうすれば、そんな嫌な嘘を気安く言えるようになるものか?
「嘘」を言わないといけないが、それを言うのが好きでない(即ち気が引け言いにくい)ことで、言葉につまることが多い。
単に人と話す「ことができない」と思われがち。で皆それしか眼中にない。
わかっていない。
知人とはほとんど(驚かれるために)「あえて」話さないようにしている。
話そうとする場合とそれとは全く別。
声を発することができないだとかもない。
いろいろ誤解して誤解したことにしか目を向けられないばかり。
自分を動かすことを人がしてこようとしてくるということ自体が、悲惨。
信じられない。
#見知らぬ人 #普通のこと #嘘 #問題 #異常者 #馬鹿らしい #常識外 #社会 #凡人 #嫌 #言葉につまる #誤解 #悲惨
単に「できる」ではなくできるすぎる。
あと「できる」だけでなく、わかる。知りすぎる。
それがどうしても受け入れられなくて悲惨。
#できるすぎる #知りすぎる #受け入れられない #悲惨
全くもって、体(身体・脳)にできる機能が備わっていないわけではないというのに、できないと見なしてくるわけ。
信じられない。
そう見なさない方が普通な気がする。
本当、世話してくる行為、やめてほしい。(世話してくるのは、できないと見なしそう思い込んでいるから)
#身体機能 #脳機能 #信じられない #世話
できるから、できないように見せることができている。
そんなにもできないように見えているのは、できるから。
即ちできなくなれば、良くなるわけ。
家族らは壮絶に騙されている。
#できる #できない #騙されている
その時に逃げれば、逃げたことが誰の責任にもならないのがまた非常に良い。
保護者不在になるタイミング、それは絶対に逃してはならない。
#逃げる #責任 #保護者 #保護者不在
言わば逆親馬鹿。
そうとはまさか思わず、超控えめに言っていることを過大評価なのかと思い込まれたりも。
#逆親馬鹿 # #控えめ #過大評価
事故で脳を損傷したなどならわかるが、「何があったわけでもない」のに、なぜにこんなにも無能だと思われるようになってしまったか。
本当信じられない。
「扱いが障害者」になり「障害者視点」で見られるようになったことでこの様。
人から思われることがこうなってしまった。
数年(せいぜい十数年)の付き合いの知人らが言葉も字も何もわからない動くこと何もできないだとか思っているのはまだしも、
毎日見てきた人がそう思っているから凄い。
その人にそれをできないと思われたり、それを知らないと思われたり、それを覚えていないと思われたりする日が来るとは、驚き。
あまりにも驚き。
#事故 #脳を損傷 #無能 #障害者 #驚き
自分のことは自分ならわかる。
自分は、自分をどうかしたいのではなく、知人をどうにかしたい。
知人はひたすら「できない」としか思わないが、できるできないの話ではない。
#自分のこと #できない
ほとんどコイツのせい、アイツのせいだとか思っていない。
そう思うような「考え」が単純な人ではありません。
知人らは自分が人並み劣る無能だと信じているため、自分は自分でも生きる価値がないと思うものだと思っていたりする。
自分は人を犠牲にしてでも生き残るべき人材。いらない存在は自分ではなく…
#単純 #人並み劣る #無能 #生きる価値がない
知人の言う「できる」をしてしまったらそれはミス。
できたら馬鹿。できないでいれたら有能。
誰もそうだとは思わない。受け入れない。わからない。でどうこうしてきて悲惨。
#できる #ミス #馬鹿 #有能 #受け入れない #悲惨
こういうことを受け入れず無視で、誤解しているまま無意味なことをしても、思い通りの結果が得られるはずない。
何せ無意味(的外れ)なのだから。
#受け入れない #誤解 #無意味 #的外れ
やってしまったら、それはミス、失敗。
頭が働いていなかった馬鹿だったということ。
だが知人にはそれをその逆(できた成長、上達、頭良いだとか)に思われる。本当空しい。
皆本当にできないわからないと思って対応してきている。
#ミス #失敗 #馬鹿 #成長 #上達 #空しい
できなくてダメではなく、家族ができないと思っているからダメ。
本当、馬鹿げている。
どう誤解され、何されるかわからない。
いままでも、ひたすら間違われ、とんでもないことをされ続けてきた。
話していない人に操られるということは本当に恐ろしい。
のんきにしていれるはずがない。
#ダメ #できないと思っている #誤解 #恐ろしい
知人らが「ネタ」と見なすようなことがないように厳重注意し続ける必要がある。
現状維持し続けていないと報告ネタを与えてしまうわけ。
ネタを与えてはならない。
与えてしまったとしたら、(誰もわからないだろうが)それは自分の極めて稀な大失敗ということになる。
とんでもないことになり兼ねない。冷や汗もの。
#ネタ #厳重注意 #現状維持 #報告ネタ #稀 #冷や汗
自分は言わば「故意多重人格」。←何気に良い表現。
#故意多重人格 #故意 #多重人格
何もできなくないし、どこも悪くない。
実際は全て「故意」。
家族らは毎日見続けているにも関わらず、故意か否かの区別も全くついていない。
何もかもが故意にも関わらず、家族らは「何もかもが故意ではない」と思っている。
そこがまた酷く悲惨。
そう見えるからにはそういうことだ、と直感で認識し、そう捉えてこられる。
できなくなさすぎ、「できない」というのが信じられない。
#どこも悪くない #故意 #悲惨
そこ(障害者の証を自分に無許可で取得した時)から本格的に知人に「障害者に見せかける」ようにして生きるはめになった。
#無許可 #障害者
「できないと思うから、やるな」ばかり。
保護者に外れた。
できることを理解し、やれと言うタイプならどれだけ良かったか?
これだけできることを認めないタイプは珍しい。
持論からしてありえないと思うことは、ありえている現状を見ても、本気で受け入れず、見なかったことにし無視。
#外れ #受け入れない #無視
「力を素を隠し、実際とは全く別(真逆)の姿を見せている」とは誰も思わない。
「常識」が「そんな人はいない」ということになっているからだろう。
見抜ける人間は0。
#常識 #見抜く
猿が人を犬だと思って馬鹿にしているようなもの。本当に。
人が猿による犬に対する扱いを受け、それがためになること意味があることだと思う?
思わないでしょう。酷すぎる。
そんなでどうこうさせようとしてくる側までも酷すぎるわけ。
#猿 #人 #犬 #酷すぎる
金投資され放題、食い地獄の苦しみ哀れみがわかる人は“いない”。
誰しもが苦しく哀れなのはその逆だとしか思わないから。
人は普通・一般的な見解とは逆のことなど考えもしない。
#金投資 #食い地獄 #苦しみ #哀れみ #一般的 #逆のこと
嘘を言う ○×
気付いていない人も多いが、嘘でどうにでもできる。
嘘で家族らをコントロールすればどうにかなる。
がしかし、気が引け、あえて、それはしていない。。
知人らの側もまた、嘘で自分をどうにでもできる。
死んだことにでもできてしまえる。そんなたいそれた嘘ではなく、ちょっとした嘘でもどうにでもできる。
平気で嘘が言える特権を活かし、どうにかすればいい。
自分がどう思おうと関係ない。
操り人の思うことが自分の全てになる。恐ろしい。
自分→障害者だと思われていることにより、健常者ながら"障害者を装う"ことを余儀なくされている人間。故意多重人格者。
何を言おうと↑が真実。これを信じず受け入れなかったらどうしようもない。
知人らは自分に会っていないと言っていいい。
多重人格の人に会った際、その時に表に出ていなかった人格の者には会っていないのと同じ。
自分には会っていない。
だが誰もそのことに気づいてもいない。。
会っているものと思っている。悲しい。
自分はまさしく「家が学校」になった感じ。
わかりますか?耐えられますか?
学校の場合、転校(クラスをリセット)することにより現状打破できたりする。
自分も学校が学校であった時は、それでいけそうであった。
だが今や家が学校になったこの現状では、家(家族)をリセットしないとけない感じ。
学校から抜ける(転校する)のを阻止しようとする人はいないが、家族から抜けるのはどうあれその家族に全力で阻止しようとしてこられる。
それだから、もう終わりと言っていいほど現状打破は難しい。
よくも嫌なことを平気で押し通せる。
その時限りのことではない。
一生の恨みを持たれ兼ねない。
そういうことがわからない。わからないからそうしてくる。
自分は、どれだけ嫌なことをされ続けていると思う?
とんでもことでない限り、もはやたいして嫌とも感じない。
その人が嫌だったら、嫌なことをしてしまったいけなかったと自分なら思う。
信じられない。
自分で決めれる権利なしになった。
頭がおかしい(と思われている人)は、自分で行動を決める権利なし。
そして保護者らは永遠に自身の好きなように操っていいものと認識。
会ったことがないに等しいほど理解のない人に操られるという身。
悲惨なことをされ続けるわけ。
本当に、知的障害者でない限りありえないほど無知だと思われている。
全て理由、理屈に左右されている。
することは、だめな理由、理屈を取り除くこと。
理由理屈を無視してどうこうしても何もない。的外れでしかない。
無視せずにそれを取り除けば「必ず」現状打破。
そもそも「人がどうこう」しても何もわかららないのだからデメリットしかない。
単に頭がおかしい病気障害だとか思われているから、馬鹿にしていてこの様。
世話人不要なのに世話されないといけないという。
世話人は邪魔なだけの存在。
世話を必要としていない。力を必要としていない。
知人らは人生を潰すほどの酷い行為をしてくる邪魔物でしかない。
知人らのことを良く思っていないからこういうことを言うではない。
そういう行為をしてくるから、良く思っていない。
普通に受け入れれば理解していることになるのに、信じない受け入れないからだめ。こんなことがあるとは。
確実です。神に誓ってもいい。
知人らの知らない方の自分は、昔からずっと成長し続けてきた。
学校なんかで人から教わることをしないと永遠に知識は幼児のまま。
↑凡人脳。常識に洗脳されている。
あなたはそうだとしても、自分は違う。
「できないことがない。何でも健常者よりもできる。できないと思われているからそう見せかけざるを得ない。」それをわかればいい。
今更受け入れるのは難しいのか知人は受け入なくて悲惨。
あまりにもできる→知人に思われている姿と大きく違う→できないように見せかけずにいる即ちできる姿を見せにくい
家族は高校から考えを大転換して大間違いなことをしだした。
突然「間違い」に向かって突っ走ることさせだした。
大転換にも関わらず、そこで考えを転換した自覚がないから凄い。
転換したその時はあったかもしれないが、すぐに忘れて自覚なしになった。
そんなに無能なら、世界は驚きに満ち、はしゃぎ回りたくなる子供状態のはず。
「お前は障害者」のように言われ続けたら、(そのお前が自分ではないとはいえ)自分に何かあるのかと考えたりする。
そんなで昔から障害者だと仮定すると、一体自分は何のハンディキャップ(障害)を負っているのか?
何が人より劣ること(ハンディキャップ)なのか?と問い続けてきた。
だがいつまでもそれがわからない。
結論からすると、何もない。
やっぱりハンディキャップが何もない。見当たらない。
家族らが(故意だと気づかず)障害者だと思っているだけでしかない。
故意。演技。
演技と障害全く関係ない。
障害者だとしたら「演技が障害」?
めちゃくちゃ。
できるところを見せたら全知人、家族をも騙して(不正して)障害者の扱いを受け続けてきたという事実がバレてしまう。
それができない主な理由。(できない=知人の思う自分のできない)
馬鹿らしい。
本当、どうしても「何かしら異常に人並み劣ることがあるおかしいやつ」と思おうとされる。
それが正しくないから問題。
何の障害者だと聞かれても何の障害もないから答えようにない。
何もないのに障害者の扱いを受けるだとか無理。めちゃくちゃ。
故意で「それはできない」と見せかけるように演技している。
本当にできない人と同じ扱いをしたら、悲惨なことをし兼ねない。
考えてみればわかるでしょう?
障害者と思われているから、そう見せかけるようにしている。
本当に障害者と同じと見てそれなりに扱われたらとにかく見せかけざるをえなくなり、一溜りもない。
故意。
「できない」だとかそういうことは何もない。
知人らはひたすら「できない」「できない人」としか思わないわけだが、その認識が丸々間違い。
そう思ってどうこうしても何もメリットなし。間違いだから。的を外しているから。
普通の人間だということを堂々とバラしてしてもいい状況下(今の知人のいない世界)で生きることを夢見続けている。
帰らぬ家出以外にその状況下で生きる夢を実現させることができる現実的な方法はない。
話さないと相手の意識にも何も変化がない。
誤解されてもずっとそのまま。相手の思うがまま。
できない重度障害者ということになっていたら、そういう人と同類ということにされていたら、
それ相応な姿に見えるようにしていないといけない感じになるのがわかりませんか?
できないではなくて、できない素振りなのだから、やろうとしたらいきなりできてしまう。
「できるようになれる」だとか思っている人のそれとも全然違う。
いきなりできたらあまりにビビられてまずい。
このままでは、本当にこのままでいざるをえない。
そんなことは誰もわからない。
重度障害者ということになっていたら、普通にやってしまうわけにいかない。
普通に見えるようにしているわけにいけない。
そうなるでしょう?
特にに重度知的障害者に精通している人の場合、自分の全てをそれの特徴にこじつけてこられる。
普通のこういうわけない、それはわかるかけないできるわけないだとか思ってどうこうする。
でこちらはその通りに見せかけざるをえない。
自分がその照合を持っていて重度知的障害者の施設で重度知的障害者に精通している人のいる場にいさせられるだとか致命的。
重度障害者ということになると、保護者がいてその人に全てを感知し知られコントロールさせられないといけない。
「最悪」という言葉しか出ない。
その通り全てを感知し知られている上でコントロールしてくるならまだしも、
全く知られていないから(そもそもだからこそそうしようとしくる)、コントロールのされようが尚更酷い。
知らず知らずド派手に馬鹿にしたりしているのもそうだが、家族らは自分を同じ人間(同じことに対して同じように感じる感覚を持っている存在)
だと思っていないからこんなことができるのだろう。
どんなにわざとやらなくてもどうしても、できないものだと思われ怒られることも何もない。
こんな人はいないので、誰もわからない。これはいろいろ酷い。
罰を受けるべき。
知人を見れば見るほど、自信が強まってしまう。
自分ほど高水準な人はいない。
~ではない。違う。←これをどれだけ言わないといけないのか?
受け入れられることがなくても、受け入れられるまで言い続ける。
そんなわけない←そんなわけないのにわかる、できる。=超人
毎日見ていてるのに、幼児でも知っているようなことを知らないものと思われていたりする。
こちらが仰天。
昔は知らないだとか可能性考えもしないそんなこと眼中にもなかったはずなのに、
退化した目線で見られるようになっていてそれだから、また仰天。
誰でも当然できることをできると言われて、誰でも当然知っていることを知っていると言われてどうですか?
あなたは嬉しいですか?
できるできない知る知らないだとかそういうことを視野に入れられること自体が間違い。
大いに馬鹿にしている。
いろいろほかに例がないから、仰天される。
長くて細かくてあれこれ言って異質な文章だということはわかっている。
異質=馬鹿だとは思わない。だからそれを変えようとはしていない。
試して正解を探るだとかも本当馬鹿げている。
そうまでして人を操りたい?
自分は自分の絶対の正解、不正解を知っているわけ。
本当馬鹿げているだけ。
自分が何を言っても、馬鹿に決まってるから当てにならないと思われる。
自分を自分で間違えることがあると認識されるからそうなるものとみられるが、その考え、信じられないほどあれ。
絶対だと思うことは、あくまで「自分の思う絶対」だということをわかってほしい。
人が嫌がることは、苛め、虐待だとかいかにもそれらしいことだけではない。
自分では気づいていないことの中にもいろいろある。
知人がするべきことはなし。
自分を気にせず忘れ何もしてこない。
そうすることに越したことはない。
それができないなら脳を破壊するか何かして記憶を消す(自分の存在を忘れさせる)しかない。
自分のことを思えば思うほど、自分に対して何かしてくればしてくるほど良くない。良くないだけ。
人全般ではなく知人。
知人以外の人にできないと見せかける演技をする必要はない。
だから知人意外は含まれない。
いくら言えばわかるのか?
誰にも自分が見えていないことを、誰もわかっていない。
体を操作して「やっている」という形を作られる。
でそういうことをしている人として公表される。
一溜りもない。
自分はやっているつもりはない即ちやっていない。
公表された人間とは別物。
やるなら意思でやらないと何にもない。
意思に反することをやるのはやるとは違う。
無意味な苦行。
高校以降、「やらないのにやらせる」という馬鹿げたことをやらせてくるようになってしまったのはもう言葉では言い表せないほどに痛い。
「わざと」だというのに、障害者に認定されてその扱い受けるということをされてしまったから、やばい。
ただのやばいこと。
笑えない笑い話。
何もかも全てが「故意」。何も悪い箇所もない。
そうではないと思っていることがまず大間違い。
「できない」←ということはない。
それだけわかればいいこと。
家族の持論からしたら自分はまるっきり「そんなわけない」だらけの人間。
即ち超人でしかない。
絶対できるわけないだとか思っていることがその持論に反して数々できてしまうことは事実。
何でも誰よりもできる(=何でも凄まじく面白い)。
それなのに何もせずに過ごさずをえない。
この切なさ哀れみをわかる人はほかに誰もいないだろう。
自分自身の思うことに相違することは、何でも「知らないからだ」にこじつけ、その人はその人が馬鹿だという確信を高める。
家族からしてみると、自分の能力は「そんなわけない」的なことばかり。
ストッパーがかかるわけ。
そんなわけないことができるとなると、隠していないと怖い。
それが全ての始まり。この全て。
家族らは、自分が無能だと思い込んでいる(信じ込んでいる)ことが一目瞭然。
知人がするべきこと → なし。自分を気にせず忘れ何もしてこない。そうすることに越したことはない。
了承を得ていないこと納得していないことをさせ続けてくるわけだ。
それは本当、心ある人間の行為とは思えない。
「こいつにならいい」という考えを持っているからそれができるのだろうが、その考えがまた信じられない。
それではその人から恨まれるのが自然。全くそうは思わないことがまた信じられない。
家族は「人間ではない」と言える。
家族らが思っている自分は90%誤解でできている。即ち虚像。
知らず知らず自分をその人の思いのままの人間に仕立て上げているところを見ると、
人にそういう(信じることを本当だと思い込む)気質があることが一目瞭然。
人の体をかってに自身が好きなように、自身が思っていることの中で自身の心が満たされるようにさせようとしてくる。
どうしても皆、自分に関することもいろいろ単純で幼稚な解釈にしかしない。
かってに馬鹿なやつと思い込む。
ともかく知人ら家族らが自分に対して思っていることは、何もかも全く違う。
何もかもそれ以前に話にならない。
まさかそうだとは思わず自分に対して行動してくるから悲惨。
本当、家族は自分にしてきたことがどういうことかわかっていない。
とんでもないことをされ、心がぶち破れるほど苦しめ続けてきたというのに、単純にしか見ず良いことをしてきたつもりしかない。
唯一の敵だというのに、唯一の味方だと思い込んでいる。
そんなことも何もわからず罪の自覚がなければ何が罪かもわかっていない様。
もう償いきることなどできない水準。
酷いを通り越して恐ろしい。
本当、大罰を受けてほしい。大罰を。
自分の体で馬鹿され続け体に人生に害を被り続ける。
馬鹿としか言えない。
知人らは「予想」でこうだろうと思っているだけなのに、それをわからず、
真相がわからず、「無自覚」であえて人の想いを夢を潰そうとしてくる。
共同は地獄。
共同から逃れた世界こそが極楽。
逃れられない時は、共同者を悪魔と見なし、常に警戒し続けることが正しい。
悪魔はあらゆることにおいて、いつどんな攻撃を仕掛けてくるか(苦を植え付けてくるか)わからない。
人は人を何がなんだかわかっていないために、無自覚で人を苦しめ続ける。人は悪魔。
ともかく、知人らが自分に対して思っていることはなんでもひたすら「違う」。
そのことを視野に入れればそれだけでもある程度変わる。
「話すことができる」などと理解しただけではほぼ理解したことにはなっていない。
人はだいたいそれもわからない。
否定のしようがない、絶対だと思い込んでいると迷いがない。
遠慮もせずにどうこうしてこられる。
恐ろしい。
してくる側はそんなことも何もわからないから、その状況下が変わることがない。。
勝たない掟、歌わない掟、名前を言わない掟…いろいろな掟があったが、それらを打破した経験は何度もある。
話さない掟を打破したこともある。
たいしたことはなかった。なのでそういうことはわかる。
今のこのことに通じる掟に関してはもう、それらとは全く違う。
家族の手によってかってにいろいろ「掟を持ったままで生きさせる環境」をこれでもかというほどがっちり作られてしまったわけだ。
それは最悪なこと。
「打破する」ということが「凄まじくたいそれたこと」になってしまった。
どれだけ阻止したいと思っても、阻止することができなかった。
話してもいないのにその人に対し、確信持ってどうこう思うこと自体、おかしい。
愛着の塊にされてしまっている。
普通に何もできないような状況。
知人らは何もわからない。
即ち自分でかってにさせることを否定し、自分をどうこうさせようとする時点で終わっていると言える。
保護しようとしている時点であれ。
動くことはできる。話すことはできない。←何を思ってそうなるのか?
できるできないの話ではない。
動くことができる(そうしてもいい)場合なら、話すこともしていい。
一方はしてもいい、もう一方はだめな場面などない。
考えてみればわかる。
知人がいなければ「してはだめ」な場面などない。
どうしても、皆、知人がいなくてもいる時のようなことがあると信じてやまない。
いない場面は、いる場面とは「何も関係ない」。
皆どうしてもそれがわからない。
多重人格のように見るのが良い例えと言っているのはそういうこと。
誤解。
自分の良いと思うことが1番良いと思ってやまない
何も考えない考える脳がないと、永遠とそう思い続ける。
人間は厄介。
お前はこうだからどうの←話してもいない見ても会っていないのと同じ人に対し、こうも何もない。
何もわかっていないわけ。
ただおかしいだけの発言。
わざと。故意。実際ハンディキャップや問題は「何も」ない。
基本中の基本。
それをわかっていないのにどうこうしてこられても悲惨なだけ。
永遠と誤解しているままで、永遠と誤解に基づいてこられる。
恐れ入る。
この環境からは脱出するしかない。
自分がすることは何もわかっていないわかることはないそんな家族の元(家族の保護下)からの脱出。
その時、金があればそれだけで絶対安心なので(あればあるほどそう)、金を貯めることが重要。
人は、事柄にはいろいろな可能性があることを視野に入れない。
解釈がいくつもあることを視野に入れない。
で信じることを信じ込む。
誤解する。
家族らは見事なまでに嫌なことをしてくる。
そういう意味でも見事な敵。
自分に障害者として生きろと言うなら、それはわざと障害者に見せかけて生きろという意味になる。
「何が問題」で障害者認定されている?と問われ時、「何もない」から答えようにない。
「障害者見せかけて(即ち不正して)認定された」と言って良い?
良くないでしょう。
だからそれはできないと言っている。
知人らの言うこと、的を外していてそもそも答えようにない。話にならない。
「お前はこうだからこうだ」的な発言があっても、こうも何もそうでない。
発言何もかもそんな。
言う側はそんなだとはほんの少しも思っていない。
そもそも何もわかっていない。わかっていないのに自覚なしで馬鹿にしてくるわけだ。
この酷さも誰もわかっていない。
保護者が自分よりも長く生きてしまうと、それは究極のバッドエンド。
そうすると、自分のことをまともに知る人が誰1人いないまま終わってしまう。
知人らは全員、実在しない人間を自分だと思い込んだまま終わり。
皆自分に対する勘違いに何も気づかず終い。
間違えていることに気づかず、無自覚で良くないことをしてくる。
それで人に良いことをしてあげているつもりでいる。
これが家族の酷いところ。
悪いことをする人は基本、悪いことに気づいていない。
何せ悪いと思っていないからするわけ。
悪くないと思っていることが、誰かにとっては悪い。そういうことはありきたり。
自分は何も悪くない正しいみたく言い張る人こそ悪いとも認識できる。
そういう人、自分の行いを変えようとしない。
「絶対正しい」なんてない。そんなことを言う人は危険人物。
「知人と話さないこと」と、「知人以外の人と話しにくいこと」は今や「「一切」」関係ない。
後者もそうなのは↑で言った通り、普通でないことだらけで普通に生きていることを装い嘘を言わないといけないから。
知人とは、家族がいる限りそもそも話すつもりはない。
何も「悪い」はない。
即ち「治す」は的外れ。
家族らは自分の思うことが絶対だと思い、こちらの言うことがなぜそうなのか聞き入れようとしない。
話を聞いてもいないのにどうだこうだ決めつけて否定してくるようなことをするのは、あまりにも酷い。
自分の意思を通せたらどれだけいいか。
上の人間の思いのままにされたら、される側が味わうのはこの苦しみの数々。
思いのままにしてこようとする人には何もわからない。
意思を通すなんて酷いこととしか思わない。
何もわからない。
当人が苦しむことが、当人にとって良いことだと思う?
「されている」を「している」として見てきて、していると思い込む。
そう思い込む側も哀れ。
別人に乗り移られてその人が自分の体でしたことを、自分がしたと思い込んでいるのと同じ。
わかるわからない、できるできないだとかそういうことに問題がある人間ではない。
だが皆自分に対し、それしか眼中にない。
このような人間は「ほかにいない」ので、いくら発信しても共感する人はおらず、誰の救いにもならない。
なんと惨めなのか。
人を否定する時、もし違っていたら、どんな思いをするのか考えない?
話をしてもいない人を否定することがどういうことかわかっていない。
人は基本、皆「自分と同じ」としてみている。
「自分」が人の基本系で、健常者の典型とする。
で自分は普通で自分以外の人はおかしいと見る。
で人を貶す。
おかしい。
でそのおかしさ気づいていない。
家族らは自分自身が間違えて人が間違えていると思い込む。
どうしようもない。。
家族らは無意識に人を嫌がらせて喜ぶ。
無意識だから悪くないだとか言える?
操り人形を操ってどうしてるこうしてるどうしたこうしたと言う。
それを自覚無しで心のある人間にやっている形。
とんでもない。。
人に何かするのにまず、その人をわかっていなければどうしようもない。
逆効果を出すリスクの方が大きい。
まずわかっていないかもしれないことを、わからないといけない。
障害者や病気だと思い込まれているから、意識して普通に見えないようにしているわけ。
そうしていない方が自然体。
そう思い込んでいない見知らぬ人に、障害者や病気だと言ったら
その人にも意識して普通に見えないようにせざるを得なくなって逆に厳しい。
配慮してくれる良いではない。実際は本当、そういうのは意味のわからないこと。
誰も全くわからない。わかる人はいない。
否定を助言として捉えることがない人間は成長せず、ずっと自分自身の思うことを押し通す。
恐ろしくもある。
家族の持論に当てはまらないから、見せられない。
家族の持論通りなら、超人になる。
あれこれしてもらえているではなくて、それに付き合わされてしまっている。
誰も得しない苦しみしか生まないことに付き合わせられる馬鹿。
人を苦しめたところで、返ってくる良いことは何もない。
苦しめることなんてしていない?←そんなことは自分自身にわかることではない。
無自覚でしていることもよくある。
良いことがないのならば、良いことはしていないということ。
「人をどうさせてくれないと怒る」ようなことがある人は、本当に酷い。
家族らは自分と敵対する行動しかしてこない。
ただの正当な敵。
苦をもたらすためだけにいるような存在。
裏表がある、実は別人とは誰しもまず認識しない。
自分自身の目で見たものそれを自分として認識するのみ。
こんなだと、人の認識を容易くコントロールできる。
自分と同じ人いないので、同じ人を救うなどということはできない。
そもそもいないのだから。
悲惨。
自分の対しての行動は自分のためと思い込んでいるが、実際はその人自身の心のためというのが大きい。
自分に良いことなどしていない。
支配欲を愛と勘違いしたりするのは本当怖い。
高水準な人なら、そういうことはないのだが。
自分は「家族の心のため」に犠牲になって苦しめられている。
自分のためだと思い込んでいるが実際はそうで、それだけ。
自分に嫌なことをしても悪いと思わない。
だから報いを受けてもなぜだか理解できない。
勘違いで訓練。ひたすら勘違いで何もない。
演技の訓練をすることなど馬鹿らしいだけ。
だが誰も受け入れないために、馬鹿らしいことを理解する人もいない。
誰しも障害者に当てはめて、本気で障害者だと思っている。
故意、演技だの正しい認識を本気で持つ人は数百人中1人もいない。
そうなる、そういう社会。
ある意味どうにでも嘘を信じさせられる。
ひたすら嘘、間違いと見なされ言うことを無視され、的外れ、無意味、苦しみだと言うことを変わらずにし続けてくる。
言葉が通じないようなもの。何も言う意味がない。
本当の意味で誰にも理解されない悲惨な人間。
理解されないから、そう言ってもその言葉も理解されない。
残念ながらどう考えてもこちらの言うことこそが的確。
しかしながら、聞く人はひたすら信じない、受け入れない、違うなどと思う。
「そういう意味で」話しても「言葉が通じない」。
「ただの演技」と知ったらどんな反応を示すのか?
誰も信じず言ったところで知ったりはしない。
そうだということが凄い。
こちらとしては信じない(即ち言葉が通じない)ことが驚き。
あえて演技をしてる姿を、これだけ多くの人間が本物だと信じて疑わずにいるわけ。
見ている時間が多い人ほどそう信じて疑わないわけ。
何もしてこなければかってにするわけ、大人なわけ。
知人らがしてくる行動はただの凄まじい迷惑、苦しみでしかない。
知人らはそんなこちらの立場は考えたこともないのだろう。
知人らに一切何もしていない自分に知人は苦しめられていると思っている。
知人らは実は誰にとっても苦しみでしかない行動をひたすらし続けているわけだ。
馬鹿らしいとしか言いようがない。
人は「持論」、「思っていること」に相手を当てはめて見てくる。
そのように見ることしかできない。
何せ「思っていること」の外の領域はその人個人の頭の引き出しにないので理解できない。
しかしながらその領域も存在しているわけだ。
それぞれその「思っていること」の領域は別。
被る領域もあるが、被らない領域も「必ず」ある。
そんなで、人に人のことはわからない。
わからないから、人を馬鹿だと勘違いしたりする。
知人の言う「できない」を無理やりその「できない」に見立てたとしても、ただのできないではない。
それとは全く違うと言ってもいい。
それをできないと言うのか?という感じなのに、知人は何もわからず言っている。
人が認めていないことをその人に無理やりさせて平気だという時点で、家族の言動は信じられない。
「「それでその人にどう思われるかわからない」」わけ。
恐ろしい。
人というか、自分。
自分を人と認識していない。
認識しているつもりでいるが、していない。
何もしていない人に対してどうこうして、どうこう思って…
何もしていない人を嫌って憎んで…
何をしているのか?
何もしていない側からしてもただ迷惑なだけ。
知人に囚われていない時間に寝てすっと飛ばされてしまうのは本当惜しい。
すっ飛ばすなら、囚われている時間にしたい。
すっ飛ばされるべき無駄な時間はそこ。
しかし知人らは逆だと思っている。
知人らは間違えていることを何もかも信じ、全く違うことを思っているだけの不愉快な人間達でしかない。
それ以外の何者でもない。
何か言っても、聞いた人は自分自身の思うことに基づいて意味を自己流に捉えられる。
「自分自身の思うこと」の中には「誤解だろう」「嘘だろう」といった思いを交えられる。
それでほとんど全く意味が通じない。
知人が自分に対して思っていることは「予想」でしかなく、当てっていることなどほとんどない。
そのことに気付きもしていない。
当たっているか否かの前に、それが予想だと気づいてすらいない。
家族らにどうだこうだと思われたら、その思われたことに基づいた言動をしてこられる。
これは恐ろしいこと。
何せ「思われること」はほぼ何もかも間違いだから、間違えたことをしてこられるわけだ。
即ち家族らに「思われること」に厳重注意しなければならない。
本当に馬鹿らしい。
少しのことでもその「思っていること」の悪い意味での変化を誘ってしまう。
恐ろしい。
家族らは見ず知らずの人間(自分)を頭がおかしいやつと思い込んでいる。
話し合うことで理解が進む。
指摘のし合い。
それで少しずつわかり、結果的にある程度わかる。
1つの言葉聞いただけでは意味を取り違えたりされ誤解ばかり。
逆にだめ。
家族が自分はどうだこうだ言っても、どうしようもない。
何せどうもこうも何もわかっていないわけ。
それ自体もわかっていない。
何も知らないのに、本気で知ったつもりになり思っていることに基づいてかってに社会のあれこれに登録させたりしてきた。
めちゃくちゃな間違い。
知らず知らず無知による犯罪を犯している。
それ相応に見せかけざるをえなくて悲惨。
知人らが自分に対して思っていることは全て予想でしかない。
即ち全て間違っている可能性もある。
自分を見たこともないわけ。
だがそれに気づきもしない。
自分に対しての無自覚ゴリ押し希望的観測。
あまりにも酷い。。
何も言ってこないならそうできる…わけがない。
その人の想像の中でかってにそういうことにできるというだけ。
人の心を無視して押し通す行為。
動かす人に上手く動かしてもらうように認識せさ、動かしてもらわないといけないだとか、馬鹿らしい。
人にどう思わせるか?そういうことをしないといけないだとか、馬鹿らしいこと極まりない。
動かそうとしているその人が、それが良いことだと思っていることによりかってに決めているルールとみて良い。
そのようなルールいい加減撤廃になってほしい。
自分の社会での今の証、経歴だとか、家族がかってに作っただけ。
自分を動かしてかってにそうしただけ。
自分は取得したつもりも行ったつもりも何もない。
自分のものではない。
自分のものにならないように心がけていた。それでもかってにされて防げなった。
扱いを受けているのも何も自分ではない。
自分の証でもない、自分の経歴でもない。
自分のものではないと見るもの。
言うことを信じない人、ではなぜそう言ってると思っている?
こちらが言ってる言葉は何だと思っている?
言っても聞かない、だから言う意味がない。
人はいろいろ思い込み、「信じている範囲」のことしかしない。
その範囲外のことを馬鹿にする。
わからないから、馬鹿にするようなことではなくてもそういうことだと思い込み馬鹿にする。
「人」がここまでわからずやだとは思わなかった。。
悲しい事実。
凡人に伝わる良い言葉があった。「仮病」。
ただの仮病でしかない。
にも関わらず、本当に病気(障害)だと思われた挙句に無許可でかってに社会に病気認定させられ、
社会で病気扱いをひたすら受けさせられた。
そんな、たいそれたことをされてしまったら、この仮病はやめようにない。
それをわからないから、どうしようもないことになってしまった。
そういう意味でとんでもないことになってしまったわけ。
仮病を詐病にされた。
これがとんでもないことだということを誰もわかっていない。
誰もわかっていないから、「とんでもない重圧」を自分1人で抱え続けてきた。
訓練も治療も何もない。意味がわからないと言っているのはそういうこと。
まずこの事実を暴いてしまうことがとんでもないこと。
…最初からこの言葉を多用していれば良かった。
詐病の方が適切だが、その言葉は認知度が高くないので、主に仮病の方を使用することにする。
ピッタリ当てはまるわけではないが、1番自分に近い病気を見つけた。「作為症(虚偽性障害)」。
それにもう1つ、「ギフテッド」。
ギフテッドが原因の作為症と言えるかもしれない。
少なくともイメージ的にはそれ。
家族らも当初のことだが、若干人を人に病気と思い込ませるタイプの作為症気質があった。
「本人に無許可で本人を認定させる」平気でこんなことをしていい気でいれるのは信じられない。
もし本人がだめだとしてもその理由など無視で「平気」。
自分自身の思っていること以外考えらずそれが絶対だと思っているから。
信じられない。
このページも作りたての未完成の状態のころに注目されて、完成度が高まるにつれて注目度が落ちていった。
過去に見た人は、過去に見た内容を中心にインプットしているから、だめ。
どうしたらわかってもらえるのかと考え、わかってもらえそうな言葉を並べてきた。
初期なんかは、誤解されにされる酷い内容だった。
人のことだから言わないようにしているが、何年見ても仮病だと気付かないだとか、イカれているのでは?
仮病を病気と勘違いして認定してその扱い。
本当にそれ。
酷いだとか馬鹿だとか越えて笑えない。
見れば見るほど理解がなくなる。
即ち自分の理解度は、見ず知らずの人間が最大。
ほかの人達は人間としてしょぼい(わかりやすく言うと馬鹿)だから治っている。
というか、自身の良いように自身を表わにするようになれている。
自分はそういうしょぼい人達(自分以外全員と言っていい)とは大きく違う。
お前はどうだからこうだ←どうだからも何もどうもわかっていない。
何せ見ても話してもいない。
断言して言ってくる時点でその人はだめ。
世の人間は確実にそれ。
どうしても、自分自身の思っていることを優先して見られてしまう。
「そう言ってるということはできる」的な見方はされない。
「できないのにどうしてそう言ってるおかしい」的な見方にされる。
自分で自分のことに関して間違えておかしいことを言うと思いますか?
「言ってることが正解になる道筋、答えがある」ではなくて、どうしても「不正解になる道筋、答えがある」と見てくる。あまりに酷い。
本人ではない人が思っていることが、本人の正しいこと信じてやまない。
頭がおかしいと思われているとしか思えない。
できることを自分で知ってしまうことも怖かった。
できないと思っているから、できないことにしている。
できると思っていることは、できることになる。
知人らが思っている自分とやらはその知人らが作り出している幻だから。
知人らは自分ができているところを見てもいないし、できないところを見てもいない。
それに気づいてもいない。
頑張るだとかそういう話ではない。
何せ家族らが世話をしてこなくなれば済むそれだけの話。
家族が死んだら人が変わってできるそう言ってる?←そんなことを誰が言ってるというのだ。どこに書いてあると言うのか?
勘違いか、適当飛ばし読みか、自分のしっくりくる言葉しか見えないか、言葉を改変してのかってな解釈か。
頭がおかしくないですか?
良し悪しを自分で決められる立場だと、自分の思っていることすることだけを正しいとし、人を皆悪いことにしてしまえる。
「自分は良い人」で、人を皆、馬鹿だということにしてしまえる。
そうしている人は、そうしていることに気付いてもいない。
ただ自分は良い人、人は悪馬鹿だと認識している。
「馬鹿だと思っている人のこと」は何もかも、「馬鹿な理由」にこじつけて馬鹿だと信じてやまない。
「悪いと思っている人のこと」は何もかも、「悪い理由」にこじつけて悪いと信じてやまない。
何もかも勘違いと思っていい。
と言ってもそう思えるわけがないから厳しい。
家族らは本気でこの成績水準の人間と思い込んでいる。
構ってこられることはこちらからしてみれば、邪魔なことをされるだけ苦しまされるだけ。
それ以外の何でもない。
何せなにもしてこなければかってにするわけ。
自分で自分のことを間違えるわけはない。本当にそう。
構ってくる操ってくる世話してくる食わせてくる保護してくる金投資してくることは苦しみでしかない。
こう言うわけ。そういうこと。
操る人は肝心な操るその人のことを考えていない?
肝心なこちらのことを考えていない。
保護して来る人らは、馬鹿の見本として良くない人間の見本として参考になるそれ以外の何者でもない。
そういう存在。
自分のことを、自分より圧倒的にできない人に代わりにやられる人生。
最強の罰ゲームでしかない。
家族らの言う自分のことは、家族ら自身が「そう思っている」ということで、本当にそういうわけではない。
しかし誰もそんな解釈は、するはずもない。
…この社会ではそういうもの。
家族は、苦、無駄、デメリット、惜しさを生ませる存在意外の何でもない。
できないように見せかける理由がない(家族が絡んでいない)ならば、できない(と見せかける)わけがない。
だから、できるできないの話ではない。
演技で低レベルに見せかけてやって、それが価値的で楽しくて有意義だと思う?
恥ずかしい苦しい相手に悪い馬鹿でしかないだけ、それ以外の何でもない。
特にの特に嫌なのは「時間をとられること」「身体に害を与えてくること」。
保護者は何を言おうが、見事に何の躊躇もなく、いくらでもそうしようとしてこようとする気質。
「自分のために金を使われること」これも含めていいかもしれない。何のメリットもない。
この動画⇐を見てほしい。自分のことが本当だとわかるはず。
医師達は演技を見破ることができない、簡単に騙せることを検証で示している。
この社会の人々は詐病に気づかない。
少し怪しまれても、少し程度。
やっぱり根本的には障害者としてみている。
障害者の証を持っていて障害者の居場所にいたら、もう疑えない。
何百人と出会ったが詐病(演技)だとちゃんとわかった人は1人もいない。
そういうもの。
付き合えば付き合うほど(演技を本物だと認識して)誤解し障害者だと強く確信していく。
詐称してでも認定されれば、なんでも障害にこじつけてくるから、バレない。
かってに想像の中で自覚なしに実在しない障害者の人物像を作り上げられる。
証さえあれば、その証は皆何が何でも絶対だと認識する。
この社会の人間はそう。
まさかなことに、カミングアウトしても誰も信じず、わからないくらい。驚き。
そう思っていたら、そういうことになるようにこじつけて見てくる。
だからどうあろうが信じていることは信じ続ける。
間違えていても正しいことはいつまでもわからない。
それが人。
何年何十年見ていようと、演技だと見破ることができない知人ら…どうかしてるように見える。
同じ人を自分が見たら「こいつは本物の障害者じゃない」とすぐにわかる。
誰もわからないのはおそらく、同じような人が誰もいないからだろう。
同じ経験がなくほかの例を見たことがないもののことは何もわからない。
ちなみに自分が認定される時なんかは医師は自分のことをほとんど見てもいなかった。
9割以上家族の言っていること(大間違い)を真に受けて判断しただけ。
人の障害者に対する扱いは今はそんなに悪くない。
1対1になると愚行に出る人、1対1だった時のことを嘘で美化するような人は稀にいるが、稀程度。
家族の保護下から脱出できる良きタイミングに恵まれなかった場合、家族の手によって本当の意味でも人生終わってしまう。
だからあせってこのページを作った。
それに気づいてから長年遊びや遊びに近いことはしないようにしている。
人類の宝にも関わらず、惜しげなくあえて無意味に時間を奪われ人生裂かれる。
家族らは、自分が本来を見せたら「お前誰?」状態でしかなくなる。
誰なんだこの超人?誰から産まれどこから来た?(・・・!!!)
↑ほぼ確実にこれ。
1人残らず誰しも、自分という自分をその人の知る自分と一緒くたにしてみてくるだけ。
「家族の保護下から外れられればいい」それだけ。
病気でも障害でも何でもないから、家族が騙されているだけだから、本当にそれだけ。
なのに、できるできない治る治らないだの病気障害だからどうだでどうこう思って考えてどうこうしてきてだから酷くて馬鹿らしいだけ。
そういうことを言っている。
知人らの自分に対して思っていることは根から全部誤解だから、全部白紙にしていい。
本当にそれだけの話。
どうこうしてくることで、一方的に人の時間と体も奪い、罪深いとも思える。
今や(学歴無=)超絶使えない馬鹿な人材だと思われているので、いくら時間を奪おうが惜しいとも何とも思われない。
健常者に見えないよう、障害者に見せかけることを頑張っているというのに、治るように努力だとかはめちゃくちゃ。
見事に超人と思われずにやり過ごせている。
それを自分が喜ばしいことを捨ててでもして、力を抑え続けてきたから。
家族の思っていることでいったら、超人ということになってしまうのは確か。
そんなわけないから信じられない。信じられないことは受け入れず無視。
これは酷いこと。
そんなわけないと思う、ならなぜこちらはそう思っているのか考えない?
自分の勘違いだとしたら、そんなふうに勘違いをする意味は何だと思う?何も考えられないでしょう?
嘘を言う理由もないでしょう?
本人には訳、理由、話もたいして何もないものと思って(即ち馬鹿だと思って)、押し通すことが良いと思い続ける。
操る人の思っていることが第一とその人が思い込んでいる。
そうして何も良いことない。
現にない。その結果が証拠。
家族らは、何十年好きに操り続けても、自分を治せない。
それはそもそも「演技」で治る治らないの話でないから。
永遠とそれが理解できず、操ろうとして苦しみ無駄をする。
操られることがなぜ嫌なのか考えもせず、言いなりにさせようとしてくる。
まず「勘違いしているのにどうこうしても意味がない。
意味がないと思うのは意味がないから。あまりにも当然。
嘘を言っているから、話を聞いても実際のことはわからないだと思われていたりするのか?
何を言っても嘘だ自分を勘違いしてるだの思われて何も理解されない。
そんなである意味、何も言わない方がましだとわかった。
あまりにも酷い。
勘違いしているその人の思っているようにされ、派手に無駄し続けることはどう足掻いても変わらない。
見てもいない何がなんだかわかってもいないというのに、「悪いことをしてしまう馬鹿」ということにし、そう見て言動してくる。
その人がそういうことになり兼ねないが、かってに確信しており、そうだと気づきもしない。
家族らは「自分自身の思っている善」と違うものは悪とみて、治療すればその善に近づくものと思っている。
その善は単純に間違えているわけ。
歩いて生活する健康な人を、治療で歩かせなくする。そうできたら治癒だみたく思っていることと同じ。
「思っていることの空振り様」が酷すぎる。
そうなり兼ねない考えで、本当にそれ。
家族に統治されている限り何もできない。
それだと家族が自分にさせたいように自分がしないといけない。
自分で動くこと好きにすることは悪。
何もかも誰よりも良くできるというのに、自分ですることは封じられ人にやられる。
これは本当、人生が罰ゲーム。
人生を動かされる続ける規模の罰ゲーム。
話すということは、障害者ではなかったことをバラす行為。
それを装って犯罪していたことをバラす行為。
「「だから」」皆々が思うような軽いことではない。
誰しも、まさかそんなだとは思ってもいない。
そういうこと。
何が何だか何もわかっていないというのに、意思に反して押し通され続けてきたことの結果がこれ。
何も悪いところはない、仮病。
即ちできないだとかない。
仮病の病気を治そうとされたら、逆に困るだけ。
そう聞いてもわからないとすると、この言っていること何だと思っているのか?
手伝ってほしいことがあるとしたら、それは家族を殺害することだけ。
自分を動かす権限が自分にあれば即刻(生きながらにして)地獄から逃れられる。
これは本当。
なのに何十年どうこうしても逆に悪い状況下になっていくだけの操り人(家族)の思っていることしていることの方が正しいだとか、
はっきり言うとありえないとしか言いようがない。
動かす操り人は、自分のことなど何も見ていない他者。
見ているのはその人の思っている人の役を演じている姿でしかないわけ。
全て何がなんだかわかってもいないのに、無自覚で馬鹿げた解釈にこじつけて、人を馬鹿だと思い込みそれなりの言動をしてくる。
人の心を体をぶち壊そうと、人が悪いものと信じきり何とも思わない。
自分の思う1つのことしか思い付くことがないためにそのことを確信し、人の話を聞こうともせず聞く意味もないと思っている。
全てを支配されている身。
家族の手により失ってしまった損失は計り知れない。
支配はされる側に良いことなど本当に何もない。
される側を苦しめていたら、する側にも飛び火するが、気づかない。
良いと思ってしてたら、そのことが悪いことに通じる通じているとは思いもしない。
そういう解釈には捉えない。
何もかも、家族が思っている良いようにされ続ける。
良いと思っていることは皆勘違い。
勘違いにより自分のために良い自分はそれが良いと思い込んでいる。
言うことなど聞き入れない。普通にそう言える。
皆「他の何か」に自分を当てはめて、自分に対して思うことを形作られてしまう。
他にいないと言っても無駄。
信じず他の何かにこじつけ、酷く勘違いされ続けることはなくならない。
演技やめたら何ともなさすぎるから、やめれないわけ。
しかしながら、やめるといった概念はなくとにかくできない即ち障害者と固く信じられている、
家族がいなくなってだめなことなどない。
想像上の幻の人を自分だと思い込み、自分に対してどうこうされたら、当然、自分は酷く迷惑する。
迷惑以外の何でもない。
生まれながらにして脳が欠品で、自力で生きる能力はないもののように本気で思われている。
社会にある何かを知りそれにこじつけることで、今になって突然そういうことを思われるようになったりする。
言うことを無視しその人の思いのままに解釈…どう足掻いてもそうされないことはない。
人は何を言おうと何もわからないから、皆敵でしかない。
こう言おうと何を言おうと、こちらの言うことがおかしい間違えているものとしか思わずそう信じ無視。
言うこととはまるで違うことを思い、頑なにまるで違うことをさせ続けようとしてこられる。
言うこと信用せずに自分自身が思っていることを何のためらいもなく絶対だと認識して言動してこられる。
信じられない。
そう認識し平気なことが信じられない。
「わざと」でなかったら、「できない」と言ってる。
「できる時があるから、できると言ってる」ではない。
否定全て、人を馬鹿にした解釈。
馬鹿げてる。
できる→何ができる?自分ができないだろうと思っていることはどうせできない。
わかる→何がわかる?自分がわからないだろうと思っていることはどうせわからない。
何もできくない→馬鹿だろうから自分で自分を勘違いしている。どうせ何もできない。
↑こう思われて、全く話が通じない。
…こんなだとは思わなかった。
家族は、無駄、デメリット、苦、惜しさを生ませる植え付けるもたらす存在。
自分からすると、それ意外の何でもない。
馬鹿と思わているから馬鹿に見せかけるようにしたのに、そのことをカミングアウトしようとも頑なに馬鹿と信じ続けられる。
家族にいろいろ、やられてしまったから。
どんなに明るいことをしても、もう胸の奥の負の感情が抜けることはない。
抜ける時、抜けている時はない。
まずそれが本当なのか?本当だとしたらそれはなぜなのか?
それを明確化せずに考えを固められるがために、勘違い無駄まみれのこの様。
誰しもひたすらに障害病気としか思わない即ち悪いところがあるとしか思わない。
それだったらば、こんなふうに障害病気に見せ続けられるわけがない。
それが誰もわからないから永遠と悲惨なことをしてこられるだけ。
こう言ってもどう足掻いても疑問でしかなく、考えを曲げることはない。
その人が思っていることに基づいた障害病気の型に当てはめてくる。
障害病気のマニュアルだとかそもそも全く的外れ。
認めたくないからそう言っているだけで障害病気だからその型に当てはめてマニュアル通りにするだとか思っている皆々は酷すぎる。
家族らが自分に対して逐一思うこと、すること、抱く感情全て空を斬っているようなもの。
それに巻き込まれ振り回される馬鹿らしさ、空しさ、苦しみは非常に大きなもの。
最後まで逃れることができない可能性があるために、絶望感が常にある。
のんきに見ている人達は、何もわかっていない。
欲望の塊にされている。
家族の気質の典型。
一溜りもない。
家族の気質は、人によっては悪質な気質でしかないようなことが盛りだくさん。
善悪は表裏一体。
大きな善行をしようとしても、それはそれだけ大きな悪行になっている可能性もある。
味方するということは、敵になるということにもなり兼ねない。
人はそういうことを全くわからずに気兼ねなく行動しているから怖い。
自分自身が人に対して思っていることに基づいた良いことをその人に押し付け、それだけをさせようとしてくる。
それ以外のことをしたら無価値、悪とみる。
一溜りもない。
勘違いだらけで、それこそが無価値としか捉えようにないわけ。
人のことはわからないのだから、人をどうこうしようとしても無駄。そうしようとすることが間違い。
何を言おうと思い込み(自分でそう思っているだけで間違い)と思われ、その人自身の思っていることは正しいとする。
自身を絶対視する。
その通りなら問題ないが、全くそうではないからどうしようもない。
普通とは違う無能だと信じられていることで適切なこと、価値あること、
幸福なこととはかけ離れ酷い反逆したことしかされない状況になっている
反撃してくる人には攻撃的なことを言わない。
してこない人には言う。
後者の人はその分、裏で苦しむ。アウトプットしないので相手との関係に進展もなく憎み続ける。
言うなら前者の人に言った方がマシでは。
誰もそれをわからない。
心配心を持つということは、その人の自由を奪うことになったりするわけで、その人にデメリットを添えてしまう。
たいてい皆それをわからず、それを持つことを自覚なしでただただ「良いこと」と信じている。それによりあえて持ち続けようとしている。
人によってはそのデメリットはとんでもなく大きく、人生が台無しになるようなこともある。
そういう人からすると、自分に対してそれを持つ人は、ただただ敵対しようとしている人に他ならない。
自分の行動を全て否定し悪と見なしてこられる、そんな人に行動を曝け出していくわがない。
その人の思い通りに動いてくれない限り善にならない。
その人とやりくりするには、その人の思い通り動く他ない。
そんなでやりくりしたいわけがない。
だからあえてしない。
何も知らない中で、ひたすら悪くみてきてそれにそれなりの言動してこられる。
そうする人はこれが善で愛だと思っているが、その人が悪と思っている人達とやっていることが変わらない。
どんな感情でやっていようと、やっていることが同じなら同じ。
酷く理解がなく、それにより酷い言動をして敵となっていることは確かだと言わざるを得ない。
全く違う自分を作り上げてしまい、それを固く信じ込まれ、それに基づいて行動されてさせられてしまったからには、もうあれ。
いい気でいない、喜んで過ごしていないからクズだ病人だ?
家族にこんなことをされておきながら、家族のことをしたっているのんきに喜んだりしている方が異常者、病人。
家族らの言う自分のことは、家族ら自身がそう思っているということで、本当にそういうわけではない。
誰もこういった解釈はするはずもない。家族らの言うことは鵜呑みにする。
社会ではそういうもの。
自分自身は正しいと思うから、自分自身だけは何してもいいものと思い、どうこうしてくる。それが家族。
正しいと思って言動しているのは皆同じ。
正しいと思っているからそうしているわけ。
でも人の言動は正しいと思わないことがあるでしょう。
人から見た自分も全く同じ。
低水準だとそれにも気づかない。
だからもはや怖い。
「家族のしてくる行動」がこうしたことは事実。
「家族のしてくる行動」によりとてつもなく苦しめられてきたことは事実。
何がどうあれ良いことをしているつもりだったから善人だとか捉え、
何の罪悪感も持たないというのは、人間として信じられない。
知人の持っている自分は、まさしく知人の想像でできている
知人それぞれの中に別の自分がいる。
知人が自分に対して言ったり評価したりしても、自分が言われているということでもないから、しかたない。
馬鹿らしく不愉快なだけ。
何せ演技。
演技に白黒つけたりされてもしかたないわけ。
何を言おうと演技なわけ。
知人の思う自分に見せかけることを継続させているわけ。
評価や否定や助言に対してそもそも自分がどうするも何もない。
仮病を本物だと思ってどうこうされるから、何も効果がない(あるはずもない)わけ。
効果がないからその仮病は病気より悪いと思うからもしれないが、そうでもない。
何せただの仮病。病気ではない。
仮病をやらずにいれば、何もない。
自分に苦しめられていると思っている人、それは自分を元にした被害妄想でしかない。
馬鹿らしい。本当不愉快。
自分は人に何もしていないし、何の動きも事柄も起こしていないわけ。
世話をしないといけないものと思ってしてくるのも、ただの妄想によるもの。
皆々が自分に対して思っていることはほぼ全て先入観、思い込み。
社会常識の型に当てはめることで形作った先入観、思い込み。
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