自分 簡易版   

最終更新:2022.10/28 更新回数:数百回 =最終更新時に新規追加した文 常識外、ほかに例を見ない、現時点で人間が定めたことに当てはまらない、通常とは逆、誤解され続ける、軽視され続ける… 「今生きている人間(75億人)の中で、最も驚くべし人間」かもしれない…そんな存在である自分の詳細。衝撃告白。 1番認識してほしいワードを書いておく「故意多重人格」。 長すぎるので、3分の2を省略し、簡素化。 要点のみをまとめた形。 あとは文字、背景色を皆が望むものに近づけた。 「長すぎて読めない」または「文字が見えなくて読めない」という方はこちらをご覧ください。

自分...自分 簡易版 緘黙症 克服法アクセス解析SNS記載要因自分掲示板

                 

- 目次 -
基本情報
学習の件
病気の件
最重度知的障害者認定の件
その他の情報
現状打破法一覧
現状打破 最有力案
まとめ
当ページ誕生までの経緯
嘘ではない証拠
聞きたいこと・連絡先
あれこれ思うこと



   基本情報   
まず「ギフテッドが原因の作為症(イメージ)」。 ↑作為症の部分は「仮病」、「故意多重人格」とも言い換えられる。 身近な人に(実際とは反して)低い水準の人間と思い込まれているため、 低い水準の人間(障害者)に故意で見せかけるようにしている…そんなほかにいない、驚きの人間である。 日本語で完結に言うとそれ。 それが唯一社会で見つけた、救われた気持ちになる正解のワード。 (無理にでも社会の中に存在する型にハメるとそういう表現になる。社会に存在している型、言葉で表現しないと人は受け入れない) そして、何もわからないできない障害者の素振りをしていたら本気でそう思われ、 「最重度知的障害者」認定され障害者詐称の犯罪者になり、 そのことを隠すためその素振りをやめざるを得なくなり一生涯そんな素振りをし続けるかもしれない。…驚きの人間。 仮病(作為症)はいつからやっていたのかというと、物心ついた時点からやっていた。 できすぎるにも関わらず、低い水準の人間と思い込まれているために能力を抑え、 低い水準さながらの人間に見せかけざるを得ない空気感だった。 演技で抑えるようにしていることは、ありのままではないので当然、苦しいこと。 そういう空気感でなければそうせざるを得ないようなことにもならなかった。 空気感を守るためにあえてそうしたが、苦しいのでそうしたくない気持ちも強いわけだ。 見せかけたくてそうしているとも、そうでないともとれる。 仮病はしだいにエスカレートさせざるを得ない空気感になった。 まず大きくエスカレートさせたのは小学校入学時。 その後もやらざるを得なくなった数回の大きなエスカレートを得て、今に至る。 痛いことに誤解され誰にもまるで理解されなかったので…(酷い失態) 誤解を招かないように、また冒頭しか見ない人への配慮を込めて「初め」に頭括式で概要を述べておいた。 真実は仮病であり、病気でも障害でもなんでもないため、治る治らないの話ではない。 「病気、障害、治る、治らない」自分に対してこれらのワードを1つでも言う人は、その時点でまるっきり勘違いしている人。 それらを言わない人はいない。つまり理解者は0。 …初めにこれだけ言っておけば、少しはまともに理解してもらえる…と信じたい。 (どうあれ、このページ自体見る人がほとんどいなくなってしまったので、今更遅い感じ) 以下結論後の尾活式で深掘り。 (まだ勘違いを招きそうな文章があちこちに残っており、支離滅裂に感じるところがあります。また全体的に修正したい) 自分は小学校入学時から現在まで家族以外の人と一切話をしていません。 小5からは家族とも話をしていません。 高2から誰一人として誰とも話をしていません。(執筆時) 「話さない時」は即ち、自発的に何かしているところを誰にも見られないようにしています。 誰とも話さない今は、人前では常時その状況。 話せないフリ、自発的には動けないフリをし続けないといけないような状況になっている。 その状態で定着してしまったのでそういったフリをするのをやめる勇気がなく、もうやめれない。 「自発的に」行動しているところを人に見られてしまうので密かに外に出ることもできない。 何もできない人を演じ続けている状態で、「言葉がわかるかどうか字が書けるかどうかも曖昧なフリ」をせざるを得なくなっています。 よって意思表示も何もしてはならず、何かを選択することもできません。 やれないことになっているため、1人の時「何かした形跡を残す」こともしてはならない状況。 行動、判断、言動を「なし」としている。 そのため何もしない何もしていない何もできない。。 即ち基本「責任を持つ」ようなことにはならない。 どうやって生きてきたかというと、想像を絶するような形です。 そして今や重度知的障害者“ということに”され、それ相応な扱いをされるようになってしまいました。 このような人はおそらく世の中で自分だけでしょう。 どう思われますか? これや、これなど比ではない。。どれだけ仰天?w(もし、気に障る発言だったとしたらすみません) どれほどのものか伝えるために言っておきますが、 「学校」では喋ったことがないどころか、誘導されずに動いたことはないし、 着替えたことも、食べたことも、トイレの中に入ったこともありませんでした。 自分で教科書を開いたこともないし、ペンを出して字を書いたこともない。音読なんてもってのほか。 最初の3年間は1分以上座ったこともありませんでした。 見聞きしていただけ。 入学前までのころはごく普通、普通の人生でした。 入学後も小5までは家では普通でした。学校だとあれなのに家ではどうして?と不思議に思われる人間でした。 (注意:気づいていなかったが他人の前で本来を見せることに無理はないので〈気づいたのは2010年頃〉、  正確に言うと、〈誰ともではなく〉知人とは話さない。〈「人前」ではなく〉「知人の前」では常時その状況) … 原因はなんだったのか? 簡潔に言うと… 園で辛いことがあったから…それもあるかもしれないが、1番は「自分の個性」… 問題はそこにある。 結局を言うと…自分が変わっていただけ…。 普通子供なら何も考えず、ありのままに生きているはずなのに、 自分の場合、あらゆることに対し、色々考えてしまう性格だったがために、こうなってしまった。 もともと何かすると家族に大げさな反応(良い意味での)をされてしまうから…それがあれで、知恵を凝らし、 できないフリ、やれないフリをし続けていたわけです。物心ついた(3才)時点からすでにそうだった。 家族を始めとした身近な人達の前で「その人が思っている自分の普通」になるように演技してやり過ごす形ができていた。 誰も全くわかっておらず、哀れなことに今そう言っても誰も信用しない。 演技=フリ。 そういう“フリ(演技)”をすることが発展してしまった。 大げさな反応というのは良い意味でのあれだが、度を越してしまい、まずいと思えるような感じだった。 できすぎてしまうので、その力を隠していた感じ。 大げさな反応をされていた(驚かれていた)理由として「自分はいつも年下だったから」というのもある。 年下だから(←そういうわけで〈クズだの知的障害者だのどうこうではありません〉)見た目的に軽視され、 常識的にみて能力が1番低いものだとばかり思われていたわけです。 だから少しでも力を見せると驚かれた。それもこうなった理由の1つ。 (そのことに気付いていなかった馬鹿野郎ではありません。今気付いていたことにしたわけではありません。  断じてそうではありません。言い訳ではありません) しかも、その少しで全力だったわけではなく、本当は身近なところにいる年上の人達を上回ってしまうほどの力があった。 よく家族にはできないことができて絶賛される(驚かれる)と恐ろしくて、 「もうできるところを見せてはいけない」的な感じになったもの。 今でも別の意味で軽視されていて(そうでなくても)家族辺りに本気を見せたら 色々絶賛されて衝撃を与え続けることになります。確実に。(思い込みではありません) このような人はまず他にいませんから、これを分かってもらえる人もいない。。 孤独な存在。 今はそれほどでもありませんが、幼い頃は今以上に「自分=超人(そう表現できる)」のように思えていた。 なぜそのように思えていたと思いますか? 考えてみてください。何も理由なくそのように思うはずない。 繰り返し言います。何も理由なくそのように思うはずない。 「知らない」と思われていることの9割知ってる。 「できるはずない」と思われていることができる。 身近な人が「人間はそうしないとそうならなんだ」と言い張っている、自分はそうしなくてもそうなれる。 そんな↑だとその人にできるところを見せるのが怖くてできない。 自分でも自分が怖くなる。 超人のように思う。 知るはずできるはずないだとか思いそう言う人自身の能力が高くないと、増して「誇張」してそう言う。 (能力の高くない自分自身を人間の基準と見るため) そう言う身近な人の能力が高ければ、自分はこうなっていなかった。 理解してください。 何かできないことがあったり、欠点があったり、短所ばかりだったり、 自信が持てず内気だったりで苦しみ悩むみたいな人は、世の中では有り触れた存在。 そのような人はどこにでもいる。 自分の場合それとは全く違い、その逆です。(できることにより苦しみ悩む感じ) こんな人は見たことも聞いたこともありません。。 自分はそうではないので、そういうのは共感できない。 そしてこの世の中はそういう人を励ますもので溢れていますが、自分はそれで励まされるようなことはありません。 そういう人とは全く違うため、共感できないわけですから。 共感できる人は普通です。励まされるのでまだいいです。 「下手だから見せられない」ではなく、「上手いから見せられない」。 「わからないから言えない」ではなく、「わかるから言えない」ような感じになる。 6才から…みたいに思われていますが、実は3才の時にはすでに (本来の姿からかけ離れるほど極端なことにはならずとも)多少この“やれないフリをする病気?”になっていた。 そんなで「真」の本来の姿は家族にも見せたことがない。(少々本来の自分を隠している程度の人はいくらでもいる) 本当に↑この通り。まさに、この言葉の通り。 信じて、受け入れて、理解してもらえないと、自分は救われない。。 「信じる」ことが、どうしてそんなにも難しいのか? 人に見られていると何もできないわけですが… 1人にしてもらえる(誰にも見られていない場にいさせてもらえる)時間が一応あります。 その時にネットなどがやれており、このページも更新できている。 (確実に自由の身になれている時間は夜中のみ〈夜中のみしか自由の身になれないわけではありまあせん〉) 気づいたらいつのまにかこうなっていたではありません。 自分はそういう何も思うことなく何となく変化を起こすような単純で軽く甘い人間ではない。 そんな人間ならそもそもこうなっていない。 家族と話さなくなった時なんかは完全にそうですが、 きっかけを作った言葉、この状態でずっといることを決定付けることになった言葉がありました。 ある人が言ったとある1つの言葉によるもの。 本当です。そうは見えなかったからといって作り話ということにしないでください。 周り〈他人〉からは見えていなかったもの、今や忘れられていることが色々あります。 ↑「演技をすることが発展」と言いましたが、それは具体的に言うと↓ できることがわかると驚かれるので、できないフリをする→できるところを見られないようにする→ 行動しているところを見られないようにするような感じになる→行動できないと思われる→ 行動すると驚かれるので本格的に行動しないようにする→大人しくしくいたら話せないと思われた→ 話すと本性もわかる驚かれる→話さないようにする→障害者と思われる→話す能力がないなどと思われる→ 最重度知的障害者と思われそれ相応の扱いをされる→それらしくないと驚かれるので、知的障害者のフリをする→ 最重度知的障害者となると、あれこれできるわけない知るわけないと思われる→とにかくできないわからないフリ→ 人間が当然の如くできることができたらそれで仰天させる→人間ではなくなる… こういうように負の連鎖が続いていったようなそういう感じ。 周りの理解がなかったことでどんどん何もできなくなった。 どうして何かしているところ見られないようにするようになったかというと、理由はこれ。 できないというか、そうせざる得ない感じでやろうとすることができない。 わかりにくいがそこがポイント。 脳の作りがどうこうではない。 脳を覗き見ればわかる。 上々の出来栄えなのに、欠品だと思ってそれ相応にどうこうされて、もったいない。 ある程度までを容赦範囲とし、その容赦範囲を越えてしまわないように力を抑えわざとできないと見せかけるようにし続けてきた。 ある程度以上にできないと見せかけるように、ある程度の基準に達しないようにし続けてきた。 物心ついた時点からずっとそうし続けてきた。それが自分の基本。 ありえないようなことだからか、周囲の人達は長年長年見続けていても全く気づかない。 で長年気づかなかったことで今更信じない。 驚かれたり誉められてしまうとある程度以上(容赦範囲越え)だったということがわかり、 撤回させるかの如くもうその誉められたことなどをやらないようにしたり(すると本当に撤回になってくれる)し続けてきた。 誰もこんなことだとはまさか思わない。 どれだけ理解されておらず、どれだけ的外れなことをされ悲惨な想いをし続けてきたことか。 誰もわからない。 誰もわからないから、家族に至ってはしかも単純だから、できない、それはできないということ、本当にできない、低い水準などと思うのみ。 自分の常に持っていた基本をわかっていなかった。 いまだにわかっておらず、いろいろ全く違うことを思っている。 で全く違うことを思っているのに、どうこうしてくる。 でこちらとしては苦しまされるばかり。 家族にはわからない。 …こういうようにし続けることで、まんまと生まれてからこれだけ長い間、 本当に能力の程度を知られることなく(能力がバレることなく)やり過ごせている。 凄いでしょう。 もう(いかなる知人の前でも)話をしていた(常時健常者だった)ころに…あのころの自分に戻ることなどできません。 このままではできない。 今、常時健常者になったとしても日程なんかが色々あって…誰もが困惑する。 ともかくもう非常に戻りにくい環境になってしまっているわけだ…。(健常者の状態=本来の状態) “自分が話すその時”をただただ待ち続けている人がいたりしますが…それではだめなのです。 そんなことを言っている人は何も考えていない。 考えてみればわかります。今の環境で突然元に戻ることなんてできない。 でも自分は一刻も早く昔みたいな常時健常者に戻りたい(現状打破したい)と思っています。 (戻りたいからそう言っています。本当は戻りたくないということはありません。それならこのページはありません) どうしたらいいのか? “自分のことを知らない人(他人)”とならリアルでもなんとか勇気しだいで話せるかもしれない。 自分と話したことが、自分を知ってる人(知人)にバレないと断定できる場合ならば何とか…。 ネットの掲示板で見知らぬ人と話すことはできます。それはできました。 ネットで人と話ができたこと。これは凄いことだった。 そんなで電話で見知らぬ人と話してみることならできそうなのでまずそこから始めてみようと考えた。 次のステップそれは肉声…以下省略 と思っていたが冷静に現実的に考えてみた結果、それができたとしても もはやあまり意味がない可能性大だったのであれだ。重要なことには繋がらない。 自分は現状のままでも密かにネット上でいろいろなことがやれており、生きがいを感じられている。 仕事をすることと、家族を作ること。それは絶対にやらないといけない…。それをせずに人生を終えてしまうわけにはいかない。 ですがそれは本当に夢のような話。 よくよく考えてみると…遠い場所へ連れて行き、長い間放置してもらうくらいのことをしてもらえないとそれはもう限りなく無理に近い。 まず絶対にそんなことはしてもらえない。ある意味何もやれないと(普通と違う常識知らずの人だと)思われているので。 誰も健常者の自分を詳しくは覚えていない。 健常者の時の状態とそうでない時の状態とを同じに見られたりする…。 小5までのことは忘れられていることが多い。 今のイメージが以前のイメージと重複し、どうしていたのか何をしたか?そういうことが忘れ去られていたりする。 人がいてもいろいろ自分でやっていたわけだが。 忘れているからには具体的に言わないと否定される。 “小5まで”が人生のうちの少しという扱いになってしまうとは。。 あのころとは別人のようにも思われる。 「今」年相応の人間として見ても普通と違う常識知らずの人ではありません。 “普通に授業を受けていたのと同じことになるように”勉強したので。詳しくは学習の件↓にて 「密かに外を出歩く」くらいのことなら理論上、勇気しだいでできる。 それができたら凄いことなので良しとするべきか? 成人間近になったら焦って常時健常者に戻ってしまうか…とも思っていたが、 そんなことはなかった… 次は30手前か…なんて思ったりもしたがそういう問題ではない気がする。 何か行動を起こさないと変わらない。 でもさすがに30,40になったら呆れられて状況を変えてくれるかもしれない。 「このままで一生を終える」ということは…さすがに“ない”と思う。 早死にしない限り、それはありえない。 あのころ、もう少し厳しくされていたらこうなってはいなかった気がする。 大きくなれば自然に治ると言われていたが、「そんなわけない」と感じていた。(本当にそう。自然に治るわけはなかった) 早い(根の浅い)うちに何とかしないと取り返しのつかないことになる。 普通に取り返せる可能性があったのは小1の前半くらいまでだった。 今回、こんなに長引くことになるとは自分でも驚き。 皆も驚き。そのうち戻るはずで、そういうことになっていましたから。 社会に出る歳になってもそのまま?などと言えば笑い話になったもの。 本当にそのままで人生台無しへの道をたどることとなってしまおうとは。。 長引けば長引くほど色々あって元に戻りにくくなる。 外を歩けても見知らぬ人と話せても何にもならない。家の人と話すのは“冷静に”考えてみるともうほぼ無理だから。 それは単なる「密かにやっていること」に過ぎない。 どうすれば…… 遠くでなくてもいいので少しずつ、一人暮らしさせてもらえたらそれが現状打破に繋がるかもしれない。 ネットで話せる人と知り合ってその人のところへ行くみたいな展開になれば何とかなるか?(難しいか?) ネットで知り合った人がたまたま徒歩圏内に住んでいて行き来できることになる… みたいなシチュエーションがあったら一時的にだが現状打破している時間を作れる…。 ともかく現状打破する手段はないわけではない。 誰も来れないくらい遠い場所に放置してもらうか、 知人(自分に関わってこられる人達〈家族含む〉)が全滅する(この世から消え去る)ようなことがあれば確実なのだが。。 (極力人のことを特定して誰と言ったり、限定して指し示すことは避けます。知人などというワードを多様する  〈このことを語る上で最大のキーとなるのは「知人」〉) 高齢になればかってにほぼ全滅すると思うが、それまで待ったら自分の人生も残り僅かになる… 全知人と縁を切ってしまってそれで果たして幸福か? 全滅するから…というのもあるが、高齢になればさすがのさすがに色々な感情が込み上げ、 何か大胆なことをしてでもして常時健常者に戻る。 まず“自分”としたことがこんなままで終わるわけはありません。 何というか、そういうもの。そう思ってきた。 訓練等は無意味。 心の問題なので。 確認をとられるとだめ(全てにおいてそう)だというのに、何においても確認をとられないとだめとされるのでどうにもならない。 証拠が残らないように工夫したり、何かしても本当に驚かなくなるような状況を作ってもらうことで可能性が開くことはありえる。 自発的に動いているところを見られても話せないことはあるかもしれないが、逆はない。 普通に「話すこと」ができたらその時は完全に常時健常者になっているはず。 考えてみればわかるはずだが、話すようになったら同時に動けるようにもならないといけない。 そうしないと辻褄が合わない。というか、そうなる。 普通に仕事をして家庭を作ったりすることができたら奇跡だ…なんて言われていたことがあるが、そんなことはない。 自分がこうなったこと自体がある意味奇跡。 こうなったのにはしっかりしたプロセスがあるし、本気で何か手を打てば普通にやっていけるようになることが可能なわけです。 もうとっくに「人生失敗」になっているが、だからといってもうどうでもいいとも思わない。 成人したらもうオ○サンです。終わり。仕事も何もできない人でした。みたいな無残なことを言われましたが(ネット上の特殊な人に)、 実際には年齢の数字が増したからといってどうってことないし、人生で言うと先は長い。 諦めなければ大概のことはやれるし、今の世の中のシステムや常識に束縛されていなくてもいい気がする。 1年違うだけでも見られ方が大きく異なってくる。 時間が経過したことが、それが影響してだめになってしまうことがあったり、 運命が変わったりしてしまうようなことがあったら、残念でたまらない。 これからも時間が経過していくのでそういう見方があると絶望的でしかない。未来は暗い。 若いと良い→即ち歳をとるとだめ→即ち未来は暗い 14から今を今だと思わない感覚でいるので、「今」の年齢に対してどうこう言われたり、 子供だ大人だ若い、年寄りだの言われてもピンと来ない。14からは常にそうだった。 「何歳から見て←何歳は○○」という認識も昔から持っていなかった(持ったことがない)のでそう言われてもピンときません。 年齢は人が作ったただの数字。 生年月日などとは違い、頻繁に変化する「変数」。 何にしろすぐに今は今ではなくなって本当の年寄りになるし、子供でもあった。 今には過去がいくらでも混じっています。過去があって今がある。今は過去でできている。 “少しずつできるようになろう”みたいなことも散々言われてきましたが、そういうものではない。 ある瞬間から突然変わる(元に戻る)もの。 最初は園で健常者の状態になったりそうでない状態になったりを繰り返していたわけです。 (常時健常者の状態に戻れた時の解放感は何度か味わっている) その“状態が変わる時”は“突然”でした。(考えてみればわかるがそういうもの) “本来”はそういうものですが… ただ、これだけしぶとくこの状態が続いてしまうと色々あるし突然という風にはいかなくなってきてしまっている。 健常者ではない状態の時が健常者の時のような状態に近づく… みたいな中途半端なことはない。不都合が生じるので。だからそういう意味での訓練は意味なし。 スイッチで切り替わる感じ。 今でも誰にも見られていない時は健常者の状態なわけです。ある意味突然状態が切り替わっています。 切り替えを繰り返しながらうまくやっていくみたいなことはできる可能性がありますが、 中途半端な状態を経由して少しずつ健常者に近づける(良くなる傾向にする)…みたいなことはできない。 自ら何かすることは何もしない状態。 簡潔に言います。「健常者ではない状態の時を、訓練により健常者の時のような状態に近づける」ということは現状では不可。 「切り替えを繰り返しながらうまくやっていく」ことは可。 言っておきますが健常者の状態から障害者の状態になっても内面は変わりません。 心や記憶や人格に変化はありません。 多重人格ではありません。 でもその2つの状態は全く違います。 同じもの・同じになるものとして見ることはおかしい。 分けて(別人のようなものとして)見るもの。 実際多重人格ではないが、「例え」として多重人格というのは非常に良い。 多重人格みたいなことを言えば、ある程度わかってもらえる。 多重人格的なことをわかっている人は1人もいないですが、それはあまりに酷い。 何せそれが自分の現状の基本中の基本要素。 「同じ人間」だと思われてしまうことで低レベルだと思われできないやれないやらないおかしいなどと思われ馬鹿にされ誤解される。 おまけに不愉快。良いことなし。 人格・心・記憶なんかに変化がなくても、別人。 役者が役を演じている時は(人格が変わっているわけではないが)役の人(別人)になりきっている(別人になっている)のと同じ感じ。 ある程度「別人」として見るのが良い。 そうした方が自分のことをわかってもらえているに近い。 …しかし厄介なことになかなかそうは思ってもらえない。 このような人はほかにいないので、正しく表現できる言葉はない。 正しいとは言えないが、「多重人格」というのが今生きている凡人達にすぐにマシな程度自分を理解させられるであろう数少ない表現。 場面に応じて違う(多重人格的)なことは言うまでもなく、説明する上で必須。 (だが誰もわかっていないのでそのような説明がされることはない) 知人の見ている、知人の前での自分ではない自分と、知人の見ていない自分は別物。 だから、知人は自分のことを何も知っていない。 知人の前での自分を知ったところで全然自分を知ったことにはなっていないわけです。 同じではない。「何でも」できる。 それを分かってもらえないことも大問題。 別人だということが受け入れられれば動かされ方がましになるだろう。 だが知人はそれはまず受け入れそうにないようなこと。 家族らは両者を同じ人間として(同一視して)見ているところが致命的。 本来を見せたらいきなり健常者。 だからできないわけ。 こういうことを言ってるわけ。わかってください。 訓練することで少しずつ健常者みたくなっていくではない。 そういうものではない。 貴方がこちらの立場だったら、いきなりではなく段階を踏んで健常者になっていけますか? 段階を踏んでいくなどということができますか? 意味わからないことを言われてると思いませんか? 自分も同じ。意味わからないことを言われているわけ。 「少しずつやれるようになる」とかない。 それは意味がわからないこと。 「やるか」「やらないか」なわけ。その間とは何ですか? 「やる」ということは、「障害者の演技をやめて“やる気”で取り組む」ということ。 だから、「やる」のに障害者でいるとかは、無理。 逆に無理。 皆、あまりにもわかっていない。 何がどういうことかわかっていない。 自分ができ“すぎ”ることも全くわかっていない。 できるできないとかではなくて、やらない。 できないからやれない、だからできるように特訓とか的外れ。 本当に色々とやれないフリをせざるを得ない雰囲気だった。 わかりませんか? できないだろうと思われて、そう言われていたらできません。 例えば、病気ではないのに入院させられたら病気のフリをせざるを得なくなってしまいませんか? 障害者ではないのに障害者手帳を持たされ、養護学校に入れられたら障害者のフリをせざるを得なくなってしまいませんか? 怪我がすでに完治しているのに誰かが見舞いに来たらその人の前では痛いフリをせざるを得なくなってしまいませんか? 自分は何というか、ハマってしまった状態。 常識知らずの無知だと思われている限り、できるはずない・わかるはずないという持論を持たれている限り… いや「そうでなくても」驚かれることは免れられない。 おもちゃの人形が実は動けて話せたとする。 だが人が見ていたら動けない話せない何もできないでしょう。 なぜなら人は「人形は動かないもの」だと認識しているから。 人を仰天させて騒ぎを起こしてしまう。 自分はそれと同じ。 そうも例えられる。 粒子が波としての姿を人に見せられないのとも同じ。 自分はおもちゃとは違い、人を楽しませるような役割はない。 邪魔者でしかなく、人から責められる。 何もしていないのに、何もしていないそのことを責められる。 知人はかって世話してかってに大変な思いをしている。 自分の意志で何もできない状態なため、勉強がやれていな「かった」こと… 高校以降は障害者として扱われるようになってしまったこと… それが要因し、話してしまうと誰もが困惑するような状況になってしまっていたので、 話したいと思っていつつも“話そうとすること”すらできなかった。 …過去に出会った人達と心や空想や夢の中で…ではなく、本当に話しができる日が訪れることを夢見ています。 その人達側からすると、逆に自分と話しができる日が来ることを夢見ていることでしょう。 生きているうちに、互いにその夢を実現させされる日が来ることを願っている。 恩もあるし、このまま終わりでいいわけがない。 何も言わなくとも、頭の中は言葉のオンパレード。心の中は秘密の空間。 できないフリをする、場や人に応じて自分を変える…そういう演じる傾向がとにかく常にあった。 あの人(△さん)は自分のことをこう思っているので、その人の前ではこういう自分でいないといけない… あの人(□さん)は△さんとは違って自分のことをこう思っているので、その人の前ではこういう自分でいないといけない… △さんと□さん、両方に見られている場面… まずい!なんとか2人が困惑しないようにカモフラージュしないと。。 ↑こういうケースに何度も巡り会った。 ヒヤヒヤして大変。 話せる人と話しているところを、話せない人に見られそうになったりするともう、赤面。 自分の思うようには行動できないので、あれは悪かった…だからなのか…みたいに思ったことがいくつもある。 自分で自分の心を痛めた。 あと言っておきますが家族と筆談みたいなことは現状打破のために考えた策略により、 実は誰も予想だにしないような形でですが一応すでに(2012年の時点で)できています。 言葉がわかるかどうか字が書けるかどうかも曖昧なフリをしているわけなので、容易く堂々とはやれない上、 意思を伝達していることを認定してもらえないが、これに関しては多少本来のことを知っている家族ならセーフ…という感じ。 家族の行動については述べません。(侮辱の幅が広がるのを抑えるため) 詳しいことを言ってしまうと、「家族宛ではないと見せかけて実は家族宛に何か書き、 これは家族が見て良いものではないものと見せかけて見れるようにしたりして意思を伝達」という方法をとっている。 それでも恥ずかしいが、それならできないほどではない。 意思を伝達していることを認定してもらえないので、 色々伝えているのに、伝えたことになっていない。(認めていない?〈伝えられているいないどちらとも見てとれる〉) できているのに、できていることになっていない。(「できている」「できていない」どちらとも見てとれる) という状態になっている。 そんなこんなで家族が意味わからないので、それが根本でこの文章も意味がわからなくなる。 「伝わっていない」ということになっています。 そのようになってほしくもないが、伝わる側の人がそうしています。 伝わっているからといって「伝わってる」と言ったらそれもそれでおかしな発言になります。 こう言わざるを得ないのはこの状況に立ってみれば分かることです。 これは「家族なら」普通に分かることです。 何せこの形は自分ではなくて家族が作った形ですから。 自分に対して何が何だかわからないと言って非難されても困る。 (このことを暴くと馬鹿にされて危険ですが、言わざるを得なくなったので書いた) ↑これに関してだがその後「あまりにも驚きで受け入れられない」のだということがわかった。 本来でない自分と付き合っていかないといけない(と思ってやまない)身としては 受け入れたら気持ちがビビってしまい、そうなるような感じか? 単純に信じられないからでもある感じ。 …やりにくい。 これもまでもずっとそうだったが、やりにくい。 見知らぬ人と何度か(話してみれるシチュエーションに巡り合い)話してみて自分の傾向がわかった。 言いたいこと言う、そういう特殊キャラをやるみたいな想像を散々してきたが、いざ話すとなると、普通に普通のことしか言えない。 それは普通のこと。普通でないことを言ったら変な目線で見られ悪く思われること間違いなし。自分は普通だった。 で「自分に関すること」で、「普通のこと」がほとんどない。 つまり自分のことを問われると、正直に答えた場合、普通の回答にならない。 で「普通のことしか言いにくい」ので、言葉につまる。 これがあれ。 こうなると、嘘を言う必要がある。 だが嘘も言いにくい。 1番問題?は「嘘が言えない」こと。 それが今、唯一存在した問題。 「嘘をつく」スキルが足りない。(なのでそれは練習の意味がある) 普通に、たいていの場合、正直に言ってはいけない感じ。 本当のことを言ってしまうと、何を言っているんだとおかしく悪く思われるわけ。 信じられず受け入れられず、異常に思われたりもするだろう。 目をつけられ、面倒で馬鹿らしいことにもなり兼ねない。 自分はあれこれ「常識外のこと」ばかりなため、「この社会」ではいちいち「嘘」を言わないといけない。 常識的に生きてきて、普通にしているしょぼい凡人と思われるように嘘を言わないといけない。 …嫌な感じ。 これだからこの社会では生きたくない。 社会で生きる場合、それが社会の悩みになるのか? どうすれば、そんな嫌な嘘を気安く言えるようになるものか? 「嘘」を言わないといけないが、それを言うのが好きでない(即ち気が引け言いにくい)ことで、言葉につまることが多い。 単に人と話す「ことができない」と思われがち。で皆それしか眼中にない。 わかっていない。 知人とはほとんど(驚かれるために)「あえて」話さないようにしている。 話そうとする場合とそれとは全く別。 声を発することができないだとかもない。 いろいろ誤解して誤解したことにしか目を向けられないばかり。 自分を動かすことを人がしてこようとしてくるということ自体が、悲惨。 信じられない。


                 


   学習の件   
自分は(誰もよくわかっていないが)“普通に授業を受けていたのと同じことになるように”勉強しました。 中1から数年がかりで自主的に極秘で行った。 義務教育の内容なんかは当時の時点で完璧に把握(クリア)済み。 何も知識ないと思って、それ相応に扱ったり、配慮したりするのは大きな間違いです。 誰にとっても何もいいことはありません。 把握していることを前提として見てください。 実際には「できない、知らない、やれない、わからない」みたいなことは自分にはありません。(現時点でありません)本当です。 もう1度言いますが、できない知らないやれないわからない←そういうことは自分にはない。 それを視野に入れ考慮されるのは無意味で不愉快どころか、それが大きな壁となる。 教えられる側の立場でいることはもう卒業してると思います。 (世の中の情報量は無限大ですから、当然知らないことが一切ないという意味ではない。全てを知る人など存在しない) 教えられるのではなくて、教えさせるべきなことだらけですから。 苦手なこととか、ほぼない。信じてください。わかってください。 何ができる何が得意とかない。 基本、何でも得意。 できないと思われているから、わざとできない素振りをしているとどれだけ言った? できないと思っている家族らがいなければ、素振りなどしないから自分で生きれ障害者にならない。 「本当にできない」わけではなく、そういう人とは全く違う。 「わざと」「演技」「素振り」「見せかけ」「騙し」 何十回言えばわかる? 日本語がわからない?


                 


   病気の件   
注意!「過去にその病気であったことがあるかもしれない」、あるいは「仮病でその病気を装っている」 ということに限りなく近く、あからさまにそうだというわけではありません。 (そのことをわかっていなかったら、的外れなことを思われ、的外れなことを言われ、的外れなことをされるだけになる) 同じ病気とされる(共通点のある)人はいくらでもいますが、このような状況化に至るまで「進展」した人はどこを探しても見つからない。 “場面”ではなくなったものかと思われていますが、いまだ人や場に応じて多少状態を変えているのでそれがなくなってはいない。 各々の知人は別の場面でのことを知らないので、必然的にそう思われる。知られてはならない。 いや、よくよく思えばそれは全くなくなって(薄れて)いない。 今や「全ての知人」の前で例の状態でいることにし続ける状況下になりましたが、知人の見ていない場面ではそうではない(ごく普通)なわけです。 「知人が見ている場面」と「知人が見ていない場面」とでキッパリ切り替わっている。 当初「学校の知人等が見ている場面」と「その他の場面」とで切り替わっていたのが、 (前者に学校以外の知人全てが加わり)そう変わった感じ。 この病気の人は皆、話せないことで苦しんだり大変な想いをしたりしているようですが、 自分の場合ほとんどそういうことはなし。 心中では昔から過剰なほど喋っているので、それで想いを発散できているからなのか? これが当たり前のようになっているからなのか? いやそもそも何もできない(よって見学になる)ほど酷かったからか? 「話そうとすること」ができないためか? 度を越してしまったためか? (もちろん嫌な想いをすることがないわけではない) また、「自身はだめだ」と思い込み、自信が持てないという人が多いようですが、自分の場合、そのまったく逆。 変わったケース。 病気というのは何のことか?という問いに答えますと↓ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E9%9D%A2%E7%B7%98%E9%BB%99%E7%97%87 6歳の時に(演技の見た目を知る人の話をもとに)認定させれ、 長いこと言われ続けてきましたが、症状を見ると、確かにまるで自分のことのよう。 自分で「これはある」と思う病気はこれしかありません。 (ネット上の皆がかってな解釈により思い描く自分は狂人のような姿だと思いいますが、違うと思います) 注意:ある意味傾向の異なる点・度を越している点もいくつかあります。(ただ者ではないわけです) ↓この点を理解してもらえないと的外れなことを言われる一方になる。 ①話そうとしても話せない…というか、「自分はこういうものだということになってしまっている」ことなどにより、  話したいながらそもそも「話そうとすることが」できない。  それができる場面で話そうとすると不安で躊躇するので、「話せない」という気持ちもわからなくはない。  話そうとすることができる場面でないとそもそも話せない。  動くことも同様で、動こうとすることができる場面でないと動けない。(緘動と言えるかどうか微妙)  言ってしまうと「話そうとすることができない場面」というのは、  単なる「極端に、話すこと=恐ろしいこと」として形作られてしまった場面とも見て取れる。  ハードルが高すぎて絶対無理のような場面。(絶対無理にならないシチュエーションを作ることは可能。そうしないといけない)  基本的には「こういう人だと思われているから、こう思っているその人の前では思われている姿のままでいないといけない」 ②人(知人の)前で意志的に動くことを「ほぼ全く」(したいが)してはならない状況なのでそもそもほぼ何もできない。  即ち「家から出て何かする」のが容易でない。 ③自己表現、意思表示をすることを「ほぼ全く」(したいが)してはならない状況なので完全にコミュニケーション不能。 ④自信がないということはない。  失敗すると思うこともない。  (何せ、やればでき、失敗しない。失敗しても1回で修正できる) ⑤世界中に経験者0で誰にもわからないようなことで苦しむものの、  皆が思うようなことであからさまに苦しんできてはいない。(人生失敗になってしまったが。。)  何せ「自らは何もしなくていい」し。  何もしなくていい…そんな自分を羨ましく思う人は多いのか?少ないのか?  特別に扱ってもらえる、やらなくてもいいとなれば苦しむことはなくなる。  やれないということにし、そうさせる。この世の誰もやっていない最強の生き方。  唯一それをやった自分はそこから抜け出し難くなり、とんでもないことになった。  自分は抜け出したいですが、抜け出さなくていいと思う人にはおすすめ。  自分の場合あえてそうさせたというか、そうなってしまったわけですが。  自分が1番嫌だったのは「特別扱い」されること。  授業に出る意味なしとみられて学校を早退させられたり、休ませられたり、席を固定されたり、ほかの人と違う呼び方をされたり…。  何も言えないのでそれを阻止したり色々自分の良いようにしてもらうことはできない。例えどんなことでも絶対に。  (何をどう思ってか↑その呼ばれ方が気になる人が多いようなので言っておきますが、   出席の時なんかに皆フルネームなのに1人だけあだ名で呼ばれたりしていたというだけのことです。   優遇されていた感じで、悪気があってそう言っていた感じではありません。全くもってそうではありません。先生ですし) ⑥(ほとんど)苛めに遭ったことはない。(ほとんど←)  そういう雰囲気ではない+そういう雰囲気にさせなかったからか?  このことは信じてもらえないことが多い。  「苛める価値すらないほどのクズだった」と考えらる模様。  元クラスメイトに聞かないと断定できないが、本当にそうなのか?  「友達ができない」「味方がいない」ということもなかった。  身近な人達は単純に「運がいい」としか捉えませんが、「それだけ」ではない。それは言える。  ただ「ネット」だと、ただただ否定批判非難侮辱され続ける身分。  「暖かいコメントを頂く」などということはあまりにも考えられません。  コメントは見事なまでに100回中100回悪口です。  思いきり誤解されて貶されるだけ。味方0。  リアルとネットとが皆とは逆。  (自分がいたのは特別学級ではありません。特別学級なら障害者とは無縁ではないし、完全に特別扱いされていたことになります。   その時点で障害者の道へいっていたことになります。つまり↓で言うことが嘘になります。   嘘つきだと思われているので、それが嘘で、特別学級もありえると認識される?) http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/siberia/1507150477/ ↑自分からすると、数あるこの類の掲示板にいる当事者の人達は「全員軽度」です。 1人として自分より上に君臨する悲惨な人はいない。 軽度ですから、安心してほしい。 ここは当事者の人に見てほしいページでもある。 安心感を得られるかもしれないし、克服・改善を目指す上でのヒントになることが盛りだくさんに書かれていると思う。 自分は本来は健常者なので…健常者といえば健常者ですが、病人といえば病人。重病人。 自発的に何もできないその状態でできること、それは頭で何かを考えることくらい。 自サイトで公開している様々な構想、空想、妄想などは… そういう状態の時に考えたもの。


                 


   最重度知的障害者認定の件   
「障害者ということにされた」のは高校の時。 実は普通なのにそんなことができるのか?と疑問を抱くでしょう。(抱かない?) 本来を多少知っていた家族は手帳を作る時、わざと酷いことを言って最重度の○害者である称号を取得させました。本当です。 言わなければわからないので本来のことにはあまり触れないようにし、 以後障害者としてやっていくようにさせられた感じ。(高校以前は障害者とは無縁) たまったもんじゃない。この時は自殺も考えた。 そして「もともと障害者だったんだ」ということにして今更「普通」改め「障害者」とし、逃げて諦められたりしましたが、 それは昔の感覚からしたら単純に「負けを認めた」というだけ。 嘘を言って取○した称号ですがら、最重度の障○者である称号は嘘ということになる。 (ならない?だとしらそれはどうしてなのか理解不能) ↑「この理由」があるわけです。 障害者とは言い切れない。 「障害者だと認めたくない」とかではありません。(そのようなとは言っていない) 「元から人より劣っていることがあるわけでも何でもない」わけです。(少しもない) 単純に認めようがありません。 無意味な拘りはないし、「1つ」のことを貫くようなタイプでもありません。 (サイトはそれ自体を作っているという感じではなくて、作った様々なものを見せる「場」です。誤解しないでください) どうでもいいようなことを貫こうとし、維持になったりムキになったりするようなタイプでもありません。(それは謎の変人) 直感で思い込むのはやめてください。 両極端な何かがあったりもしません。 知的障害的な気質も何もありません。 本来の状態の時は誰もが普通だと言っていました。 (「ごく普通・健常者」というのは自分の中で思っていたことではなくて実際に言われ続けていたこと。  「障害」というワードが出たことは高校まで1度たりともありませんでした。) 大人になってからの本来の姿は誰も見ていません(成長した本来の自分を知る知人は存在しない)。本来の状態に変化はありません。 本来の姿を誰も見なくなった後に頭がおかしく(障害者に)なった。後天性の障害者。 でもありません。 事故に遭ったわけで何でもないわけです。変化はないわけです。 それなのに後天性の障害者だとか言い張るの、ありえないでしょう。 でも本来ではない状態が訳あって悪化してきたこと、大人に近い位置付けの人になってきたことによって こうして障害者になることをしないとおかしいような感じになってきてはいた。改善しにくくなってしまうが。 仮に障害者といっても誰しもが思い描く像とは全然違う。 このような人間は他に存在しない。 存在しないような人間をイメージすることなどない。 普通ないのでない。誤解しない人はいない。 「手帳(障害者の称号)の取得を止めなかったからお前が悪い?お前のせいだ?  止めなかった=自分で手帳を取得したんだ?お前は悪人?」 ↑止められるものなら、なんとしてでも止めてる。 当時何とかして阻止しようとし、証明写真を撮られないようにすることには成功したが、それでも取得されてしまった。 自分で何もしなくても自分の代理の人が自分のことを何でもやれてしまう。 好き放題に自分を操作できてしまう。 「できない」と言えばほかの人にやる権利が与えられてその人がやれてしまう。 「できない」ということにすれば、普通なら形式上本人の意思の確認をしないとできないようなことも、 それは不要で何もかもできてしまう。 実はそう。 訴えたくなる。 自分は遠に大人意識を持っていますからそれもあって、子供みたく騒いだりはできない。でされるがままにされざるを得ない。 だが家族等は障害者と見立てたことで自分に対して大人意識が全くなく、やりたい放題。 好きかってに操作される。 尊重されるようなことはまずない。 騒がない、即ち嫌でないみたく認識されてしまったりもする。 家族は避けることができないので怖い存在。 家族はその後障害者として扱っているうちに少しずつ本当に障害者のようにも見るようになっていった。 過去のことも忘れていき、障害者ということが前提になって「障害者なのだからできない」的なことを思うことが多くなった。 健常者として見ていた時の名残りで「障害者ならできないはずのこと」をやっていても何とも思っていなかったりし、 そのことにある時ふと気付いて突然凄いことだと思いだしたり、 以前は言う間でもなくできると思っていて現にできることを知っていたはずが、 障害者として見るようになったことでできないと思うようになったり、訳の分らないことが起こることもしばしば。 障害者だとされ、そう思われるようになったことで、 まして障害者のふりを、何もできないふりをせざるを得なくなってしまった。(重度化) 誰もそのことに気づかないという… 健常者と思われていたら健常者でいざるをえない。 自分は「後者」の方が楽だし幸福。 だから現状が嫌。 重度知的障害者だと思って見ている人の前で普通にしてしまう(本来を見せてしまう)度胸はない。 知的障害者を演じ続けざるを得ない。 そう思われているから、それらしくして、おかしく思われないようにできている。 障害者だと思っている人がいて、 障害者という立場にされて障害者の場にいさせられていて、普通にしてしまったら逆におかしいでしょう。 おかしくないように、おかしくせざるを得ない。 できない(素振りをしてきた)のは、思いのほかでき「すぎ」る知り「すぎ」るから、それを隠すため。 できない人の集団(即ち障害者)の一員にする行為は、この上なくできないを引き出させる最悪な行為。 「できること知ることが普通」の場でないとできない。 できすぎるわけ。それにビビられてはいけない。 それが根っからの基本だというのに、知人はそのことがどうしてもわからない。 病人の集団の中に健常者がいたら不謹慎だし、それは完全にいけないこと。 知的障害者の集団の中に何のハンディキャップもない知的に障害なしの人がいたら…それも同じ。 できないように見せかけるようにしているから、この現状が維持できている。 知人の前で行動したら(本来を見せたら)、不謹慎だったこといけないことをしていたことを「バラす」ことになる感じになる。 本来を見せれない(やれないできない)感じ(空気感)になるでしょう。 それなのに、できないから障害者の居場所でできるようにだとか、めちゃくちゃ。


                 


   現状打破法一覧   
すでに言った通り、必ず現状打破できる方法があるわけですが、誰もそれを実行させられない。 そこで効果のあるかもしれない(と思っていた)ことの具体例(現状打破法)をまとめてみる。↓ やってみたことにより、「何かためになることに気づけた」ようなケースもあったので、絶対無意味とも言い切れない。 ・以前の自分に戻ったらどうするかを具体的に考えてもらう ×  今の通所(させられている)施設に関してどうするか?どこでどう働くか?どういう流れでどう生活していくか?など。  常時本来の状態になったら、そうなった日以降、そういう場所は場違いなので行けません。(比較対象外の人達のいるところです)  以前の自分に戻っても誰も困惑することがないような流れを予め考えておく感じ。  でも場面に応じて違うのに、辻褄が合うようにするためには  あらゆる場面(全ての知人の前)で同時に本来の状態でいれるようにならないといけない。  「今の環境のままで常時本来の状態になれ」と言われてもそれは物凄くハードなこと。 ・自分と同じような人を見つける ○  ここまであれな人はほかに存在しないでしょう。(この世にただ1人。おそらく誰しもそう思う〈これは誰も否定しない〉)  だが絶対とは言いきれない。  “もしも”存在し、その人と交流することができたなら、互いに色々良いことがあるはず。  もしこのような人をほかに知っているならぜひ教えてほしい。(いえ、教えてください)  “ある程度”共通点のある似通った人ならいくらでもいる。  最悪そういう人でも良い。  同様な人に希望を与えることもしたい。(その想いから生まれたページがこれ) ・意見をもらう △  このページを他人に見せ、意見をもらう。  すると何か気付くことがあったり、力になってくれる人が現れ道が開けるかもしれない。  ずっとそう思っていた。  この文章を公開する日にありつけてしまった今、道が見えなくなりつつある。  …誤解されて的外れなことを言われるばかり。  なかなかアイディアは得られない。  的外れなことをあえて的外れだと思わないようにするよう、意識しているがやはり的外れでしかない。  「同様の人」や、「専門医」に意見を聞いたらどうか?  全てここに書いたので面倒なことはせず、このページを見せれば良いだけになる。  でも後者は厳しい。  そういう社会的地位が遥かに上の人に当ページを“自ら”見せる勇気はない。  誰も意見を掲示板に書いてくれないので返信を兼ねてここにやたらと色々書くことにもしてしまい、このような有り様。  こんなに恥ずかしいページはなかなか見せられない。  でも現状打破の方法を1番わかるのはやはり“自分”。  ↑↓これだけアイディアがあれば十分なのでこれ以上にそれを得ることに重要性はさほどない。  何かを「誰かに聞く」必要は「あまり」ない。(そう思う) ・知人に予め本来の自分を知ってもらう ×  能力や知識のことなど。  そうすることで驚かれにくくなり、ある意味本来を見せやすくなる。  (自分の今の本来のことをよく知っている知人は誰一人いない)  だがそれはほぼ無理な話。  ここで散々言っているようなことを“家族ならいける例の手段”で予め伝えても家族は信じない。  信じないですから、本当に驚かれることは避けられない。  驚かれない環境を作ってもらうことはできない。  信じない(信じられない)ようなことが事実なわけですから相当驚く。  家族は自分が今話しても何とも思わず驚かないものと思っていますが、それを信じてくれない限り、そんな訳ない。  話せることをわかっているから話しても驚かない、動けることをわかっているから普通に動いても驚かないだとか、考えが甘い。。  知識や能力、人柄、その人に対する想いなどは明らかに全然わかっていないわけです。  話したらそういうことがわかってしまうでしょう。  全然障害者ではないこともわかってしまう。  間違いなく仰天します。  できるようになれる素質がある覚えらる素質があるではなくて、すでにできるし覚えてる。  だから驚かれる。そう言ってる。 ・どこか遠くで1人で暮らす ×  以前はあれだったが、それ相応の歳になったことで、これが可能になった。  人と接したりすることに「最大限に慣れる」と思うので、  地元に戻っても本来の状態のままでいれるかもしれない。(それでもその可能性は低い)  2度と戻らない、知人も来ないなら絶対的に現状打破可能。  (自分のことをちゃんと理解しているなら、それで現状打破できることが〈その原理が〉分かると思います。   「知人がいるからできない知人がいなければできる」それだけですから、それで現状打破できるわけ)  だがそれは良くない。普通良いとは思わない。  なぜって?「家族と縁を切ってしまう」ことになるわけです。(それでいいと思いますか?)  普通なら自立するからといって、もう2度と会わないということはないです。  普通のそれとは違うので自分の場合「縁を切る」ということになる。  「どこか遠くで1人で暮らす」↑という名称、良くないか?  具体的に言うと「家族が構ってこなければいい。放っておいてくれていればいい。」それだけ。  場所を変えること自体には何の意味もない。  自分に直接意味のあることはない。 ・他人と会話をする △  基本的なこと。  知人でなければ話すことが可能。  上記の通り、一応色々やった。  熱心にやってはいない。  よくよく思ってみると他人と話したからといって知人と話せるようにはなるとは考えにくい。  でもかなり為になると思う。  できれば感覚はつかんでおきたい。  ちなみに他人も、ある程度交流すれば知人になるわけですが、知人になったらもうだめかというとそうではない。  「知人を介して知り合った人ではない」なら、いつまでも本来を見せることが可能。  家族と面識がなければいい。 ・他人と偽って知人と話す ○  自分自身がその知人と話すことに慣れることができる。  さらに、あとから自分だったと伝えれば、相手にも自分と話す感覚を感じてもらえる。  (するとこちらとしても話しやすい感じになる)  かなり勇気がいるが無理はない。何度もやれない。  軽くこれを実行してみた。「自分で」できることは実行可能。  具体的に言うと昔の知人のブログにコメントした。 ・知人に他人と偽って会話してもらう △  相手にも自分と話すことに慣れてもらえるので良い。  これができたら物凄いこと。本当に気づかなければ可能。  これはどうしてもだめな場合の会話手段でもある。 ・他人に自分を装って知人に会ってもらう △  で自分を装ったその人が知人の前で話したりする。  これでその知人の反応を予め見ることができる。  他人に予行練習させ、自分と接することに予め慣れてももらえる。  すると自分本人?も気楽になり、平気だと思えてくる。  わりと、いいかもしれない。  大人になった姿を知らない昔の知人であればバレない確立が高い。  姿を見せずに電話で自分を装うというのもあり。  それなら今の知人でもいける。  何せ誰も声を聞いたことがない(声を知らない)わけだ。  自分の偽物に成り代わって本物になるようなこともできるようになり、  本当にいけるようになるようなこともあるかもしれない。 ・失踪を装って実は家にいる ○  天井裏や天袋に隠れて、生き続ける人がいる。→詳細  生きれる。  これを自分の家でやる分には犯罪にならない。  家の誰も来ない場所に住み着くなら、入念に考えて計画を練る必要もないが…結局家を出るのと同じ。  大捜索され、大パニックが起こる。  親がいなくなったら、まずこれをやるかもしれない。 ・自信をなくす △  自信があるからこそ、こうなったわけで、なかったらこうなっていない。  自信をつけるのではなくて、なくす。  リアル知人←ならば「変なことを言ってる」と思うでしょうが、これは本当に有効です。  ネットで自分の作ったものなどを見せ、全てをひたすら貶され酷評され続けたことで  知人に見せるのも(たとえ本気が作ったものでも)わりと平気だと思えるようになった。  凄くて驚かれるのではなく、「こんなのは逆に酷くて驚かれるようなものなんだ」  「自分の本性(本来の姿)をもろに見せてしまっても色々酷くて低レベルで驚かれるだけなんだ」と胸を張って言えますから。  「良い結果が出た」と言えるだろう。  でもそう言えるというだけで、リアルだと(凄くて)驚かれてしまうことは確か。  遠回しに言いますが、少なくとも身の回りにいる人達(知人)の能力などは  もちろん分野によりますが色々な分野において自分よりかかなり○○。  (サイトがどうこうではありません。以前はサイトなどありませんでした。   どれだけ軽視されているのか?自分は誰からも驚くほど軽視されている)  認知力、把握能力、知識…  何を言おうと↑違いない。  自分の見えているもの、聞こえていることが確かな限り。  もし知人の方が上だとすると、知人は自分の前で常に力を隠し、能力の低い人を演じている…  または自分の見えている知人の姿や声、知人の残す形跡などは幻想ということになる。  そんなことがありますか?ありえないでしょう。  ネット上の人なら絶対知人の方が能力が上だと言うでしょうが、残念ながらそれは違う。  残念ながらどう足掻いても知人を持ち上げることはできません。  だから自信があるわけで、自信がある素振りなどしていません。断じてしていません。  ネット上の人は「自信があるはずない」と思うようですが、これ↑が事実です。 ・中学校以前の知人に説教される △  最も感情を揺さぶられる存在なのは中学校以前の知人。  家でも話さなくなり(普通ではなくなり)、逆におかしくなっているということを知られたら一溜まりもない。  もし知られて何か言われたりでもしたら、正気でいられなくなって何か変わるかもしれない。  親はそれ以前をかってに黒歴史のように見ている。中学校が終わったその時点からすでにそう。  それ以降の方が黒歴史だと思うが。抹消したいのはそれ以降の方。  心の問題なので、こういう形ではなくともともかく心を動かすようなことをされると、効果がありそう。  有効なのは何というか動的な訓練ではありません。  言葉などによって「心を動かすことをする」ことの方がまだ意味がある。  改めて言いますが、現状を知られることはとんでもないこと。  そのことは理解してほしい。  まだ常時本来ではないどころか、逆に恐ろしく悲惨な有り様になっているわけです。  これを実行するということは、即ちとんでもないことをやらかすこと。 ・催眠術により催眠状態にする ○?  うまく意識を変えられたら、その間話したりすることができるかもしれない。  寝言なら言える(自分で自分が喋ったことに気づかないので)のと同じ。  程よい昏睡状態ならいいわけです。  昏睡状態になる方法はほかにもありますが、そのほかは良くなさすぎる。  今やより知恵もつき根深くなってしまったので、  知人の前で本来の姿を見せるということははっきり「意識」がある限り、無理に近いほど難しい。  催眠が溶けても、スムーズに溶ければ平気だという感覚が得られて  (もしくはまだ催眠状態であるフリをして)しばらく本来のままでいれる可能性もある。  (これは自分で思いついたことではない)  (動画←で)体験してみましたが、結果:全く催眠術にかからない  潜在意識を書き換えることもできそうにない。 ・酔っぱらう ×  経験がないのでよく知らないが正気を失い意識がなくなるなら、いける。  話してしまえればその後も平気になる可能性が。  これは催眠に近い。  酔いが覚めれば元通りになるという常識があることが少し問題。  でも現実的な厳しさは緩い。  酔ったらおそらくかなりの高確率で自分は知人の前でしゃべるだろう。 ・寝言を言う  聞いた人に声に慣れてもらえるので多少良いかもしれないが、  それ言う体質ではないし、聞かれたいとは思わないもの。  無意識を装って何か言い、覚えていないことにすれば問題ないわけだが、  一時的にではさほど意味がないし、問題ないとはいえ、なかなかできなることでない。 ・テレパシーを通して会話する △  心を読むことができる超能力を持つ人となら話すことができそう。(前々から思っていたこと)  身近なところにそういう人がいたので(会ったことはないのでどの程度読めるのかわからなし、信じがたいが)、  超能力は存在すると思っていた“ことが”あった。  もし読めるなら通訳としても使える。  話すことに慣れるために有効。 ・本来の時の自分の姿を映した映像を知人に見せる ?  このページの1番上のリンクの話にもあったが、それなら無理はないし、有効かもしれない。  否定的な人が多いですが、自分はむしろやってもらいたかった。  怖いがいいかもしれないと前々から思っていたこと。  ちなみに、家にいる時の様子(自分の本来の姿)を盗撮して、  それを密かにほかの人に見せているクラスメイトはいた。(小5の時のこと)  当時はあるきっかけにより家でも一部の家族と話しにくい感じになりかけてきているころだったが、  話しているところが写っていたようで、むしろ良かったと思った。  話せない人とは思われたくなかった。  もっと見せびらかしてくれても良かったの「かも」しれない。 ・ネットで知り合った人に自分のリアル知人と交流してもらう △  代行して何か言ってもらうようなことができたり…  これは少々危険。 ・学校で食べ物を食べる △  もともと、現状打破を果たすためのキーはこれだった。  「微々たる量」ではあるが食べてしまったことがあったが、その時は「普通になれるその時来た?」的な感覚になった。  元の自分に戻れたような気がした。  でも根深くなってしまったからか、話せるようにならなかった。  そんな気がしただけであった。  その時、もうこれではだめなんだと思ったが…  “自ら”食べたとしたら、どうだったかはわからない。  まだ症状の根の浅いころ、自らこれをやり、(現在まで続く今回のこの状態を)一瞬また克服しかけたことがありましたが  その時!前にいた某クラスメイトが驚きの声をあげた。  それで恥ずかしくなってだめになってしまった。。  そういうのをやめてくれるよう伝えてくれていたら…今頃どうなっていたことか??  その時はぎりぎりで口に入るところまでは至らず、誤魔化すことができてしまったので「食べた」とは言えない。 ・1度喋る ○  1度声を出してしまえば、1度自ら動いてしまえば、それ以降普通にやれる のではないかと思っていた。  だが食べる件と同じ。  そういうことが学校であったが、その時、元に戻れたような気がしただけ。  根深くなってしまったからか、だめ。  1度きり。  しかも今となってはそうしたとすると、その後翌日になったら前日のことが恥ずかしくてたまらなくなることでしょう。  少し時間が経ってから改めて思ってみた時のことを考えてみるとできない。 ・厳しくされる ×  そもそも厳しくされていたらこうはならなかったかもしれないわけです。  家から追い出すくらいの感じになってくれたら変われるかもしれない。  大人になってもそのままならそうなって変われるかと思っていたが、、いつまでもそうはならない。  だがいずれさすがにそうなる時が来るかもしれない。(いや残念ながら来ないだろう)  お前は重度障害者だ。何もできない(できるようになる余地ない)から何もしなくていい←で片づけられてKO。。  現代が何もできないフリをして何もせずに生きていられるような、甘い世の中であったことも裏目に出てこうなってしまった。  「もともとの本質的な障害だから環境がどうだろうと関係なく必ずこうなっていただろう?」←それは酷い間違い。  自分を取り巻く環境を作った人は自身を正当化できるので、そう解釈したがる。  自分が自分の保護者なら絶対にこうならないようにできたと思う。  後者の自分を理解していますから。  どうしたらいいか、どうするのが有効かわかる。 ・障害者に話しかける ○  理解力がなく、言葉を発することができないような人(赤子・動物も該当する)にならなんとか話しかけることができる。  こういうことをしていれば話せるようになるか?的なことを思っていたが、  いざやろうとしてみると「だから何?」と思うだけであった。 ・激しいメール友達を作る △  日に何回も何十回も一方的にコンタクトを取ろうとしてくる人を知っていますが、  何か行動を起こす上でそういう人がいると良いと思う。  「自らの意思で行動している感覚」をなくせると行動しやすい。  (そうは見えないかもしれませんが)↑通話をしたことなどに関して書いた内容の中で言った通り、  実は話すことが凄く怖いので、相手側から常に攻めてきてくれないと会話もできない。  色々すれ違って誤解されて食い違って面倒なことにもなるだろうが、それでも話せる相手がいると違う。  その存在は大きい。  普通に仕事で稼いで生活するくらいになるためには、(激しくなくても良いのでともかく)話せる相手を作ることが必須。 ・1人で独り言を言う ○  誰もいない時に、あえて多めに言ったりしていると、人前でもうっかり何か言ってしまいそうになってまずい。  それだけでした。 ・1人の時、堂々とする ○  誰も見ていなくとも、狭い場所などにいないと何か恥じらわしい感じがしてしまうのだが、  そこで恥ずかしさを感じずにいれるようになれれば何か変わるか?とも思ったり。 ・少し声を出す ○  小5の時、道端で遭遇しただけの人や、話さなくなったことをあまり知らない人の前で  何気なく声を出したりしてみたことがあったが、だから何という感じ。  現実的に考えてみるとそうなって当然。  もうできない。 ・何もしないようにしてもらう ×  知人に見られていなけば本来の状態なわけですから、  知人に構われず見られていない時をほとんどにすれば、ほとんどの時間本来の状態でいれる。  現状打破に近い。(常に構われなければ完全に現状打破)  序々に手を出さない(自分に何もしない)ようにしていく形で  欠かせないことにも手を出さないようにしていけば多少知人が不安になりにくいかもしれない。  欠かせないことを本人に任せるというのは知人的にNGに近いか。  いないものとみて、何もしないなら別の家にいることとある意味同じです。 ・○○ ○  成人した時から本格的にやり出して150時間を越しているがどうもなっていないのが現状。  逆効果だと思えるようなことがほとんどだがそうでもないと思えるようなことも。  本当に逆効果ならその逆もありえるということなのでむしろ希望が芽生える。  心は理論で成り立っている。そういう人の場合、どうなのか?  「何かに対する想い」というのは、最初からずっと同じ(不変)ではなく、そのものと関わっていく上で変化します。  色々な行いや結果などによって色々と感情を揺さぶられますから、それによって変化する。  言っておきますが、普通にしています。  普通の人のように普通にやらなければしたことにはしません。  そうでないと自分を許せません。  かってに変なふうに思わないでください。普通の人と思ってください。  良いことだと信じて精一杯善意を持って行ってきたことが誤解で、別の人は精一杯善意を持って逆のことを望んでいたり、  ある人にとっては良いことでもある人にとっては悪いことだったり、信じて望み続けていることが間違いで無意味なことだったり…  善悪の基準はよく分からなかったりするもの。  神も悩むだろう。 ・ネットの掲示板で会話する ○  電話とゲーム機を繋いで見知らぬ人と会話できると聞いたのは98年頃のこと。  それならできそう。本当ならやってみたいと思った。  違う形ではあるが、その見知らぬ人との会話は2004年の時点できた。  これができていなかったらどうなっていたことか?(できない方が良かった?それはないです)  ネットがあるから現実で会話をしないわけではありません。  ネットをなくしたからといって現実で会話はできません。  自分はずっとネットのない世界で生きていました。  あと言っておきますが「掲示板でネットで世の中を変えられるから現状打破しない」なんて馬鹿げたことは考えておりません。  自分のためだけの人生では生きた意味がない。  ただ生きるだけなら生きなくていい。 ・特に考えず、いきなり現状打破する ○  それができないから色々な案を出したわけだ。  これは原点回帰案。  いきなり戻った上で、今日からどうするか話し合う。  各場面に応じて、各知人に対してどうするか?どう説明しどう過ごすか?今や考えれば考えるほどもうマズイことだらけ。  困惑が絶えないだろうが、成り行きに任せる。  今やあまりにも恐ろしい現状打破方。  だが頼みの綱である○○○○はこうすることを推し進めているとしか思えない。  どう意気込んでもこれは厳しい。ボケない限り。  それでもこれで行くとしたら、↑↓の現状打破方を熱心にやる形になる。  これは、これまでずっと望まれてきたことでもある。  どういうわけで自分がこういう状態でいるのか?相手は何も分からない。  そうなるとやはり「今いきなり話せ」と言われます。それを望まれます。自然なこと。  これで通すなら結局はその形を何も変えないということに。  それでは何も変わらず終い。  このページを作った意味もあまりなかったということに。 ・その他  このほかに良いと思う方法はありません。  良いと思ったらここに入れているので当然です。  理論を無視して何かするのは理論上、無意味路線へ走るとしか考えられない。  だが知人がしたがることはその「その他」。  厳しい。 - 現状打破できるかもしれないシチュエーション - ・自分が大病を患う  上記の通り()、話さないままでは人生を終えられません。  死の寸前くらいになればいくらなんでも話してしまえる。  前々から思っていたこと。  何かきっかけが必要なわけです。  そういうことでもあればイケるので、  大人になる前にはこういうようなことがあって現状打破でき、普通に人生を歩めるものかと思ったりしていた。  ○○しているので○○ようになると思っていた。  だがそうならなかった。  でももはや1度話せたからといって  その後ずっと誰とでも話せるわけではかもしれないことがわかってきたし、これももはやどうなのかと思う。  聴力を失えば自分の声が聞こえなくなるのでイケるのではないかとも思ったり。  視力を失えば何かを伝える手段は口しかなくなるのでイケるのではないかと思ったり。  (伏字の部分は全て当然ですが、知られてしまうとよくないので伏せているわけです。   メールかSkypeでなら教えられるかもしれない) ・正気を失う  正気を失えば喋ってしまえたりもするかもしれないが、どうしても正気を失わないし、1度話せたからといってその後etc.  大病を患えば正気を失うかもしれない。 ・知人が大病を患う  絶対に話さないまま終わりにしたくないわけです。  もう今しかないような状況になって良い感じの場が作られれば話してしまえる。  でも1度話せたからといってその後etc.そのことがわかってきたので現状打破の厳しさもわかってきた。  厳しい。。 ・拉致被害者のように拉致される  おそらく生活する上での自由度が低く、厳しくされる…現状打破する上で最高の形かもしれない。  そう前々から思っていた。  なので誘拐されそうになっても拒否りたくならない。  自由度が高いと自分の個性が見えてしまうので、やりくりしにくい。  こういうことを装った芝居をしてもらうというのもあり。  芝居なんて壮大なことをしようとする人はいないし、バレないようにすることは難しいのであれ。 ・独房で監禁される  そんなことがあれば、いきなり知人の元から離れられるのでいけるのではないかと思ったり。 ・ネットで知り合った人の家と、自分の家とを行き来できるようになる  上記の通り。  人前で本来の状態でいる時間を作れる…だがハードルが高め。 ・無能になる  認知症になって(ボケて)無能に(本当の障害者のように)なったとしたら、  自発的に何かしたりしてしまう(よって色々なことをやれるようになる)可能性がある。  そうなると今の人格は失われ、自分が自分ではなくなるかもしれない。  色々な意味で悲しくもある。  そんなでは意味がないかもしれない。  「戻らないから無能だ」的なことを言われたりしたが、逆です。  無能だったら戻っています。  「記憶にないほど昔から症状があるなら最初からと同じ」みたいなことを言われたこともあるが、  記憶にないというのは明らかに間違いな上、そんな昔ではない。  記憶力がないほど無能ならこうなっていません。  思考が働いてしまうからこそ、元に戻れなくなり、環境の変化に応じて良くも悪くも変わりながらより重度化した感じ。  本来ではない時は頭が働いていない?的なことを言われたこともありますが、全くもってそんなこともありません。  頭が働いていなかったら、逆に誤って普通にしてしまいます。  関係ないことを考えていて前が見えていないとうっかり普通に動いてしまいそうになる。やってしまった例もある。  自分がこうなっているのは頭が悪いからではない。  頭が悪くなったら(ボケたら)逆に普通になるわけですから。  間違えないでほしい。  頭が悪いのかと思われて良くしようとされたら逆効果。  現実味のないことを言うが…  能力を抑え、欠点を作り、周りの人(知人)との整合性を保つために自分は神?によってこうさせられたようにも感じる。  「本当に」能力が知人と同レベル以下になり欠点だらけになったら整合性が保たれて常時本来になる。(治る)  そういう見方もできたり。  「人」がいるから、「人」を気にして、「人」によってこうなり、こうなっている。  もとから脳に障害がありどうもならないだとか本当にできないだとか思っている人は自分のことを本当に理解していない。 ・大人になる  上記の通り。  大人になれば焦って障害者をやってられなくなり、やれなくなる…  容姿が変化し、人に見られるのも平気になる…  と思いきや、大人の領域は異次元ではなく、そうはなりませんでした。 ・地元で大災害or戦災が起こる  で知人が全滅すれば(自分は生き残る)確実に現状打破できる。  家族だけでも全滅すればなんとかなるかもしれない。親がいなくなれば割とこっちのもの。 ・科学が発達する  容姿を変える、別の人に一時的に乗り移ってもらう、別の人に乗り移る。そんなことができたら…  自分の意志で動かすことができ、自分の変わりに動いてくれるロボットがあったり、  無免許で運転できる運転手の姿があまり見えない乗り物があったりしたら…  長期間何も取り込まず(食べず)に生きれる生物になることができれば…法律や金の概念のない時代へ行けたら…  現状打破可能。  科学ではなくても、そんなことができる「超能力者」が本当にいたとしたら、その力によりかなりの高確率で現状打破可能。  ネットで会話ができたりする時代になってくれてありがたい。でもまだです。  もっと進んだ時代になってくれると尚更ありがたい。  自分に関することの記憶を知人から消すことができれば、いなくなったのと同じことになる。 全部に言えることだが、根の浅いうちならそれで改善できたかもしれなかったが、 今となってはこれらを実践してもたいして進展ない可能性が高いわけだ。 現実として、本当にそうした(そうなった)時のことを考えて(シュミレーションして)みたら、 もはや進展することはないだろう。という結論に至ったことがほとんど。(全部ではない) 「今」となっては、「この状況」となっては、もう本当に厳しい。 でも↑こうすれば変われるのではないか?と多少でも思っているから、停滞状態になっているわけでもある。 色々試してみてあまり進展(変化)がなくても、その進展がない(ほとんど無意味だ)ということがわかって道が見えなくなれば、 それにより動揺して気が変わってきて違うことを模索するようになり、新たな現状打破への道が見えてくるような可能性がある。 いままで実際にされてきた色々な訓練のようなものは、この中のどれにも該当しない。 本当に意味のないようなこと。 元に戻る方法はない。祈る以外にない。←そんなことはありません。これだけあるわけです。 自分でこれならできると思うことこそができることだと思いますが、違いますか? 一応これらの現状打破方法全てが現状打破方法です。 もしほぼ無意味だとしても可能なものは一通り試してみたい。 何の過程も踏まずに今すぐに完全に現状打破できたりはしなかったとしても多少は意味がある。 具体的にどうするかを示すことが重要。 現状打破は諦めるべき? 無理と認定してそれを諦める意味もない。 諦める必要もない。


                 


   現状打破 最有力案   
どうしても容易ではないが、やはり最も実現できそうなのは、「どこか遠くで1人で暮らす」をベースとした方法での現状打破。 それをやるとして、具体的に考えてみると、いろいろなやり方ある。 「いつ、どうやってそれをやるか」がポイント。 それに際してまず「今の世界(世界は地元周辺だけではない)でなるべく人と会わず(社会に出ず)生き続ける良い方法」 を確立させておきたい。 言い方を変え簡単に言うと、「社会に出ずに収入を得る良い方法」or「家族がいない中で収入がなくても生き続けられる方法」。 ずっとそうやってで生き続けるようなことはありませんが、(最低数日間だけでも)そうやって生きる過程は踏んでおきたい。 個人的にもそうだし、これを確立させることで家族の動向を変えられるかもしれない。 それどころでなく、確立できたら現状打破できる可能性がかなり高まる。 裕福な生活は望んでいません。 どんな状況下だろうととりあえず生きれれば良い。 収入は1日300円程度(1月1万円弱)で構わない。何とかすればそれで生きれますから。 “100万円”あれば9年間生き延びることができます。 9年分のライフと見てとれる。 十分すぎるほどのライフ。(1万円以上の初期費用が出る可能性あり) 今頭にあるのは自分の家の敷地内の気付かれない場所やテント・寝袋などに住み着き、コンビニなどに通って生きる形。 (↑部屋を借りる、ネットをやる、とは書いていません。よく見てください。「とりあえず生きれれば良い」とも書いています。  部屋を借りる、ネットをやるのに1日300円で生活とかおかしなことを言ってる=重度知的障害者ではありません。  外食をすることにはなりません。よく考えてください。それはしません) いつか尽きるものはだめ…かと思いきや、よくよく考えてみるとそうとも言えなかった。 現金を“貯めておく”のもいい。 3年生き延びられるなら十分安心なので100万ある場合、日に1000円近く使っても一応平気。 だが口座がないと現状では全く稼ぐことができない。。(稼がなければ貯めれない) 口座さえあれば何とかなる。 逃亡してもほぼ確実に(安心して)生き延びれるようになる。 「とりあえず(念のため)1人だけで当面生きていられる形」を作り、 そこから自分で少しずつまともな暮らしができるようにして社会に足を踏み入れていこうと考えています。誤解しないでください。 言っておきますが、(1人で生きるなら)別にいきなり社会に足を踏み入れることができないわけではない。 「それは家族に妨害され厳しい」+「確実性を高めたいからいきなりは控えたい」という感じ。 「もしも」のことは一々考えません。ずっとその生活のままということはないですし、それを考えていたらそもそも何もできない。 いろいろ対処できる自信も失敗しない自信もあるし。 「現状打破」はおそらく自分の人生至上最高に大きなこと。 それのためなら命をかけてもいいくらいの、そういう次元。 多少の期間その生活というのは、命がけでもない。 軽いもの。 命をかけてもいいくらいの次元。 怖い、心配などと言って止め続けていたらどうしようもない。 全ての生物は常にいつ死ぬか分からないもの。 絶対安全な状態などない。 絶対安全を求めてもきりがない。 ホームレスとして生きるのも、野生で生きるのも、海外で生きるのもおそらく容易くないが、あり。 …誤解され馬鹿にされてしかたないので1人で生きるとしたらどうするかをさらに詳しく言う。 現状打破するとしたら、1番考えられるのはこの流れ↓ ↑現状打破法の中の「失踪を装って実は家にいる」をやる、 あるいは寝袋と家の鍵とPCと多少の金を持って(全てキープ済み)家を出る。(それでしばらくの間は生き延びられる)                         それだと生活が厳しいので、日々快適な生活ができるようにする(欲を満たす)ための活動をしていく。 いろいろ良いものを自作したりするかもしれない。 (生命の維持に必要なものを得るため)コンビニに通うかもしれないが、 その場合覚えられてしまうと何となく行き難くなるので行く頻度を最小限に抑え、 尚且つ同じコンビニには続けて行かないようにする。 できれば最初はコンビニではなくセルフレジのある商業施設に行く。(店員〈人間〉とやりとりしたくないので) 遠くて毎回そこに行っていられない…的なことになったら心してコンビニに行くようにする。 満足に食料確保できず金が尽きて餓死するかもしれないので、 早いうちになんとかして口座を作って 定期的にある程度の時間無料でネットができる流れを確立させる。 そしてネットで金を稼いで生きる(1日あたり300円分以上稼げればずっと生き続けられる) 今や至る所に無料Wi-Fiや無料で利用できるコンセントが設置されているので、 ネットができる機器があればそれだけで生き続けることができる。 90年代00年代ではそうはいかなかった。時代が味方してきてくれている。 予めある程度金があればこの口座やネットの下りがなくても、それでも生き続けられる。 そもそもネットができなくなるようなこともないかもしれない。 親がいなくなった場合は既存の口座を使えるので(使っても問題なし)作る必要はない。ある程度金も手に入る。                         その生活に慣れてきて、知人に捕まらないと確信でき、 もっと高みを目指したいと思えてきたら試しにでも少しずつ社会に足を踏み入れていってみる。 自分だけの家を持てるもしれないし普通に仕事をするかもしれない。 皆苦しみ疲れと戦い続ける「社会」とやらで少しくらい自分の(本気の)力を試してみたい。 通常の人間を、いや「人間」を体験してみたい。 良い意味で拍子抜けしそう。 1人で過ごす際、「人に危害を与えたり迷惑をかけることはない」「死ぬことはない」少なくともこの2つは約束される。 ご理解ください。(皆わかっていませんが、そんなことができる人ではありません) 1日あたり300円分稼げるかorその時にある程度(3年分〈1年分でいいか?〉)のライフを持っているかどうかが鍵。 そんなで、現状だと「金を(使うことよりか)稼ぐ」ことがしたい。 今1番したいことはそれ。 通帳に記帳されずに口座を使う方法…あるいは口座なしで金を稼ぐ方法をなんとかして見出したい。 もしかすると電子マネーを応用すれば口座がなくても金を稼げる? 電子マネーすらなくても稼げそうだ。ATMは紙幣しか出ないようで、試しにやってみれる段階になかなかたどり着けない ようやくたどり着けた。 ポイントサイトでポイントを1000円+手数料分だけ貯め、最低額の1000円を(実体として)入手に成功。(この通り→動画) だがここまでに要した時間は約半年。半年で1000円しか稼げないようでは、厳しい。 次は別のポイントサイトでもっと効率良く稼げる方法を模索する。 1000円はたった3日分のライフ。これが3日で消えてしまうと思うと心苦しい。 1日分のライフを1日で得られれば安泰。 この「半年で1000円」が「1日300円」になればいいわけ。 そうなれば「社会に出ずに収入を得る良い方法」を確立したことになる。 即ち現状打破にかなり近づく。 何かおすすめの方法があったら教えてほしい。 そんなでネットでできる時間があとどれくらいかあれば、現状打破できそうだとも思う。 なのにネットがあったらできないやるなだとか言われる。 そう言われるのはその人が何もわかっていないからこそ。 どう考えようにもほぼ確実に言えることなので、無視しないといけない。 知人と少しの間距離を置くような場合も、これを確立できているかどうかがわりと重要になってくる。 もう会うことがないような場合なら、社会を応用していくようなこともできるわけだが。 今や、自分の金とされる金も知人が管理することになる。 どうしてもそうなる。 動物に金の管理などさせられないでしょう。それと同じ。 知人の管理下にあると、即ち知人に知られずにそれを使うことがでない。 知人に知られずに使えない、即ち使えない。 「その知人に意識がある限り」使えない。 なので「自分で使用できる金」を確保しておきたい。 自分で使用できる金というのは即ち、自分で隠し持っておける金。 で実は2005年頃からそう思って確保してきた。 長い年月を経て色々なシチュエーションがあって、塵が積もり山となりつつありますがまだまだ不十分。 ↑で言った「多少の金」とはそれ。 もっと確保しておきたい。それが現状でできること。 「自分で貯めて隠し持つ」ということをしないと「使える金」が手に入らない。 だから自分で貯めるしかない。 問題はわかるか?できるか?やり方知ってるか?買い物できるか?乗物乗れるか?話せるか?動作できるか?wではなくて、金。 だが知人はそれが問題だと思い込んでおり金は問題外。 「金があればいい」、それだけ。(現時点でそれだけ。嘘ではありません) それ以外のことに尽くすのは無駄な労力で、不愉快なだけ。 理解してください。 おそらく、保護者の元から逃げて現状打破する(=↑のようにして1人で生きる)ことになる。 それしかないように思う。 「保護者がわかってくれる」ようなことはない。 状況が変わり、良いシチュエーションが生まれたら、その時にそうする。 だから、最も重要なことはその時に備えて「金を貯めておく」こと。極力使ってはいけない。 良いシチュエーションというのは、保護者の心が消えた(自分を忘れた)時等。 その瞬間にすぐに↑このようなことをやり、現状打破する。 (「死んだ」ようなものだが、←その瞬間ではない。実際はドラマのように心と体は同時に死なない) それなら、「自分が逃げたことにより起こること間違いなしの大騒動」を軽く済ますことができる。 なぜって保護者らしき人が一瞬不在になるから。 大騒ぎするのは保護者。 体が生きている場合、どうしても「心が生き返る可能性」が多少ある。 (生き返らない方がいいが)生き返ってしまったとしても、まあ良い。 死んでいる間にいける。 もしまた同じ保護者に保護されてしまうにしても、その間に1人で生きていれば、1人で生きれることがわかるので良い。 「今」、そのシチュエーションがあってそれをやるとなっても(まだ1年分もライフもないわけだが)、まあなんとかなると思う。 自分は誰しもの想像を遥かに越えている水準。 今逃げたら、保護者は死に物狂いになり、通報された上で「自分は障害者と認識させられている知人」総勢で大捜索される。 間違いない。 それが怖くて逃げれない。 死に物狂いにならない通報しない知人にどうこうさせないというなら(←まあありえない)、今にでも逃げる。 「なぜ(こういった現状打破法を)実行しない(逃げない)?大人なのだから自分の意思で好きなようにできるはずだ」 的なことをと言われましたが、間違いです。 そういうこと↑になるわけ。 あと家族は“いる限り”無視することができない。 いや、無視してはいけないとされている。 障害者ということにされてしまった今の状況ではいろいろやってはいけないということにされていたりする。 このまま(現状維持永遠継続)でいいとは思わない。 「無駄だらけで惜しい人生」だし、もう「演技を見せるのは恥ずかしかったりで無理」。何せ大人。 やりたいこともある。 あとこのままで良くない大きな理由がもう1つ。 家族は近々、日々24時間演技して生きさせようとしている。 演技だの実は真逆の別人だのそういうことは何もわかっていないから、平気でそんなこともさせられる。 日々24時間一生涯何もできない人を演じて何もせずに生き続ける、それがどれだけやばいと言えることか。 いざそれをやればそれができないことを理解するだろうが、その際並みならぬ危険に晒されることになる。 自分に残された時間はもう残り少ないかもしれない。 演技だとか、知人が受け入れないから理解がないから拘って真実を知ろうとしないからとか、 常識肩書きルール動かす人の気持ちがどうこうとか、そんな理由で自分は終わるかもしれない。 皆、馬鹿げてる。 その(日々24時間演技の)リハーサル的なシチュエーションがあったことが何度かあるが、 いずれも想像をも越えた「危機的」な状況に陥っている。 少しだが逆に日々24時間演技させないで生きるリハーサル的なシチュエーションがあったことも何度かあるが、 その時は当然、まずそのようなことはない。 家族は何もわかっていない、何も知らない。 皆あれこれ逆のことを思っているが、安全、危険の認識も逆。 24時間演技(知人に託す)のは安全(安心できる)、24時間演技させない(1人で生きる)のは危険(いきなり大動揺)という有り様。 重度障害者ということにされていて、重度障害者の常識を当てはめてこられるので、 即ち人に世話させるべきそれが安全1人で生きるなどとんでもないといった認識を持たれる。 家族らは自分を「できない」「無知」「悪人」と本当に思っている。 (誤認。話していないから何もわかっていない。わかっていないこともわかっていない) それにより1人で自由に動くことをかってに危険視してこられる。 早いところ失踪した方がいいが、その時は慎重に見極めないといけない。


                 


   まとめ   
自分はあらゆることが通常とは逆。 頭を良くすること→だめなこと 自信があること→良くないこと 人に思われること→真実とは逆のこと 自立すること→だめなこと 自分の場合こう言うとこう言われる↓ 人を頼らない→それは悪いこと、頼れ 覚える、忘れない→それは悪いこと、忘れろ 人のことを考え世の中のために生きる→それは悪いこと、自分のことだけを考え自己中心的に生きろ 障害者の観点で見て↓ 保護者がいなくなること→喜ばしいこと、救われること 世話されること→嫌なこと、危険なこと 世話→してもらうではなくされてしまう 知力が下がると→健常者になる 自信→満々 配慮→されないと困るのではなく、されると困る 障害→ない 問題→「できないこと、わからないこと」ではなく「できてしまうこと、わかってしまうこと」 その他↓ 親は子供を→過小評価する(ある意味、何もできないわからない知らない子供だと思い込む) 自分をサポートする人→自分にサポートされるべき人 ↑全て通常は逆。 これが真実。 皆、こういう自分の真実をわかっていない。 このような人はまず、ほかにいない。 「反人間」と言っていい。 家族は自分を無能だと思いたい願望でもあるかのよう。 有能ならメリットありだが、普通に考えると無能でメリットはない。 なのにその様。変なことに。。  - 自分、仰天まとめ - ・知人全般から言葉も文字も場所もわからない記憶もない動けない何も知らない  何もできない「今産まれた人間」のように思われている。(即ち最重度知的障害者だと思われている) ・産まれてから毎日見ている人達にも、↑そんなふうに思われており、  幼児のころから知っていることを未だに知らないものと思われ続けている。  幼児のころからできることを未だにできないものと思われ続けている。 ・↑そうではないこと(その逆だということ)がバレないようにやり過ごせている。 ・誰も自分を知らない。毎日見てきた人も知らない。 ・毎日見ている人よりも、見ず知らずの人の方が断然理解がある。 ・永遠と知っていることを教えようとされ続ける。できることをできるようにしようとされ続ける。できることの訓練をし続ける。  (そうしようとしてくる人の方が圧倒的にできないわからない) ・大きく誤解され、全く無意味なことをされ続ける。しかも永遠とそうされるがまま。取り返しのつかないようなことでもされるがまま。 ・逆のことを思われ、逆のことをされ続ける。相手からすると、こちらが逆のことをし続けている。 ・この世に理解者0。誰1人として誰にも理解されていない。 ・人に付かれ、自分の意思で動かず、人に操られ続ける人間。(例えるとゲームの操作キャラ) ・普通に人間と思われない。 ・学校で普通に授業を受けたことがない。学校でノートを開いたことがなければペンを持って字を書いたこともなかった。 ・学校で人と話をしたことが1度もなかった。 ・3年半、学校で1分以上座っていたことが1度もなかった。 ・勉強を「人から教わる」ことはほぼ一切していない。


                 


   聞きたいこと   
 聞きたいこと:  ①自分に対してどう思ったか?  ②どうするのが良いと思ったか?他にアイディアはあるか?  ③「自分と同等かそれ以上」に衝撃的な同類の人はいると思うか?  ④貴方が家族だったらどうするか?   (自分の本来のことや想い〈このページに書いてあることなど〉を多少知っているという前提で)  ⑤どうして誰からも無視されるのか?言葉をもらえないのか?  ⑥今の世界でなるべく人と会わず(社会に出ず〈できれば口座なしで〉)生き続ける良い方法  etc. 答えるのはどれか1つでも構わない。 終いに原点回帰して各問いに一言で(=簡潔に)答える↓ こうなった理由→自分は能力が低くないのに(低いの逆)、家族が自分を軽視するから(それが真実、かってに別の理由付けしないでください) 常識 知っている 知人の前で本来の状態を見せること できない 他人の前で本来の状態を見せること できる。他人と話せなくない、即ち他人の前で動けなくなるようなことはない。 家族に要求していること なし(強いて言うと何もしてこないでほしい〈見捨ててほしい〉) 他人に要求していること あり(反応〈できれば「聞きたいこと」の返答〉) 自信 ある。こう見た感じ誰しも自信があることをおかしく思うようようですが、、あらゆることにおいて非常に自信にがある。 教育 通常通り受けている(ものと同じ) 体→「非常に」快適に動けるし疲れることのない身体 苦しみ(不幸)→家族らが自分に対してしてくる行動 嘘 言っていない 今するべき最も大事なこと 口座を持つこと 金を貯めること (ネットで毎日300円稼ぎたい) 知人がするべきこと なし。自分を気にせず忘れ何もしてこない。そうすることに越したことはない。 知人さえいなくなれば問題なしになる。 ある程度現金さえがあれば逃亡して現状打破できる。(ただし知人〈特に親〉がいる限りとんでもない騒ぎが起こってしまう) 家族・家族と面識のある知人がいなければ1人で生き続けられる。「「確実」」に。 無知により誤解してそう思い込んでいるではない、誤解しているのはそう言う人の方。 家族がいなくなり家族の操作下から解放され1人になれば「「確実」」に現状打破し幸福を手にすることができる。 これを否定し受け入れず別のシチュエーションを想定してどうこう言ったところで何も良いことはない。 言ってしまうと無意味でしかない。見苦しい。 ↑これらを受け入れて認識してください。それができないなら自分に対してどうこうしない。 自分の思っているあらゆることは「知らないからわかってないからそう思ってる」ではない。 無能だと思われているとそれ。 無能だと思われている限り、言葉が言葉の意味を成さない。 言葉が言葉の意味を成さないのでは無能だと思われて続けているまま。 どうにもならない。 知っているわかっている、それでもそう思う理由がある。 人はどうしてそう考えず、おかしく思ったり馬鹿にしたり貶したりするのか? ↓ が一押し。もし↓の連絡方法が全部引くとしたら、どういう連絡方法なら良いか教えてほしい。 引く理由も教えて欲しい。こだわりか何かか? それとも侮辱しているところを他人に見られるのが怖い?自分の嫌がってくれるだろうから避ける?


                 


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